【母子の愛に涙が止まらない】柴咲コウが芸能界入りを決心した本当の理由
そんな実力派女優に名を連ねるようになった柴咲コウですが、彼女の芸能界デビューには母と子の辛すぎる過去があったことをご存知でしょうか。
2018年4月21日更新
女優や歌手として活躍する柴咲コウ。クールでありながら幅広い演技ができることで、多くの監督や脚本家からも人気の高い女優です。
そんな実力派女優に名を連ねるようになった柴咲コウですが、彼女の芸能界デビューには母と子の辛すぎる過去があったことをご存知でしょうか。
母子の愛に涙が止まらない、柴咲コウが芸能界入りを決心した本当の理由をご紹介します。
苦しい暮らしから脱するため東京へ
柴咲コウは1981年、北海道の礼文島で生まれました。礼文島とはどんなところかと言うと・・・。
▼礼文島の位置
ファンミ沼津公演に来た人の位置情報検索してたら礼文島から来てる人居た pic.twitter.com/mQ50Ug5dqY
— yoooo (@yoshi_pc_) 2017年12月16日
北海道の北部、稚内の西方60キロメートルの日本海上に位置しています。
のどかな場所ですが、島での暮らしは楽ではなく、両親と3人で上京してきたと言います。
父親と柴咲コウは笑った時の目尻がそっくりで、それ以外の容姿はお母さんにそっくりだと本人がテレビ番組で語っています。
柴咲コウにそっくりのお母さんとは、さぞや美人な方なんでしょうね。
池袋でスカウトを受ける
こうして上京してきた柴咲コウ。
14歳の時友達と池袋のサンシャインを歩いていたところ、現在の所属事務所であるスターダストプロモーションにスカウトされます。
しかし父親の反対で一旦は芸能界入りを見送ることに・・・。
一度は見送った芸能界入り。ではどうして柴咲コウはデビューするに至ったのでしょうか。
お母さんの末期がんが発覚
一度は見送った芸能界入りを決心したのは、他でもない、お母さんが末期ガンに侵されていることがわかったためでした。
柴咲コウは16歳の時、病床のお母さんの治療費を少しでも稼ぐために芸能界での活動を始めます。
しかしデビューしたての女子高生に最初はモデルの仕事程度しかなかったようです。当然ギャラも少なく、月6〜7万円程度の収入しかなかった中、全額を柴咲コウはお母さんの治療費にあてたというのです。
そして2000年、彼女の名をこの世に知らしめたとも言える映画「バトル・ロワイアル」が公開。
トップ女優としての大きな第一歩を踏み出したのです。
天国へ旅立ったお母さん
こうして着実に芸能界でキャリアを積み始めた柴咲コウですが、2001年、お母様は息を引き取ります。
一人の女性として強く生きる柴咲コウ
ある日の柴咲コウのinstagramの投稿にこんなものがあります。
礼文島から東京へ親子3人でやってきて、末期がんの母親を救うために芸能界に飛び込んだ一人の少女。
人一倍苦労をしてきたその少女は、今大人になり多くの人に勇気を与える立場になっています。
貴方なら、自分の母親が末期がんに侵されているとしたら・・・何をしますか?
強く生きる柴咲コウから力をもらえる、そんなエピソードのご紹介でした。