2017年8月22日更新
どんな人?
- 上條恒彦は1962年6月より活動を開始した歌手。1971年11月にリリースした「出発の歌」はレコード売り上げ38万枚を記録する大ヒットとなった。
- 俳優としても活躍し、NHK大河ドラマや連続テレビ小説に多数出演。主な出演作としては『遥かなるわが町』(TBS系)や『3年B組金八先生』シリーズ(TBS系)などが挙げられる。
- 長男であり俳優の上條恒はミュージカル劇団「三ツ星キッチン」を立ち上げ、脚本や演出を手がけている。
プロフィール
本名 | 上條恒彦 |
生年月日 | 1940年3月7日(84歳) |
身長 / 体重 / 血液型 | 173cm / 68kg / O型 |
出身地 | 長野県東筑摩郡 |
最終学歴 | 松本県ケ丘高校 |
デビュー年 | 1962年 |
所属事務所 | ケイセブン中村屋 |
芸能活動
歌手として
長野から上京し、専門学校の学費を稼ぐため、サンドウィッチマンやコンクリートミキサー車の運転手などといった職を転々としていたところ、歌声喫茶に飛び入り出演。
以降歌の道を志し[出典2]、1962年6月より歌手活動を開始した。[出典1]
そんな上條の受賞歴は以下のとおり。[出典4]
1971年
『世界歌謡祭』グランプリ受賞
『ポピュラーソングフェスティバル71』グランプリ受賞
『第2回世界歌謡祭』グランプリ受賞
1972年
『第4回世界歌謡祭』歌唱グランプリ受賞
大ヒット曲「出発の歌」
1971年11月にリリースした「出発の歌」はレコード売り上げ38万枚を記録する大ヒット。
同楽曲は、『第2回世界歌謡祭』への出場歌手を決める『合歓ポピュラー・フェスティバル』内で、六文銭と新ユニットを結成した末に生まれたものだった。
これが受けた恩恵により、1972年1月から放送された時代劇劇『木枯らし紋次郎』(フジテレビ系)の主題歌「どこかで誰かが」を歌うことが決定し、30万枚以上のセールスを記録した。[出典2]
シングル「冬の星座」
シングル「冬の星座」は、作詞家・大森昭男が上条に直々にオファーした楽曲だという。
大森は上条の歌声について次のように評価。
(「冬の星座」)やっぱよかったもん。
上條さんの声で。上條さんって、
教科書みたいな人って思われているけど、
ほんとはロックシンガーですよね。[出典3]
俳優として
歌手活動の傍ら、俳優としても活躍し2000年には『第25回菊田一夫演劇賞』における演劇賞を受賞した。[出典4]
上條の主な出演作は以下のとおり。[出典1]
1973年
『遥かなるわが町』(TBS系)
1975年
映画『男はつらいよ・寅次郎子守唄』
劇団民芸『お尋ね者ホッツェンプロッツ』
東宝ミュージカル『ピピン』
1979年
『3年B組金八先生』シリーズ(〜2011年/TBS系)
1994年
連続テレビ小説『春よ来い』(NHK)
1996年
大河ドラマ『秀吉』(NHK)
2000年
大河ドラマ『葵 徳川三大』(NHK)
2002年
ミュージカル映画『走れケッタマシンウエディング狂騒曲』
私生活
息子は俳優
長男の上條恒は、俳優。
1990年に劇団「ふるさときゃらばん」入団し、2000年に退団。
以降は東宝ミュージカル『レ・ミゼラブル』などに出演し、2009年にはミュージカル劇団「三ツ星キッチン」を立ち上げて脚本や演出を手がけている。
上條恒は、父についてを次のように語っている。
許せないことは山ほどあるが、それが私の父親。僕にとっての父は、怖くて厳しい父親しかいない
長い芸歴のある父は、舞台にいるだけでものすごい存在感。圧倒されます[出典5]