2016年8月4日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 伊藤正樹は、東京都出身のトランポリン選手。2歳で同競技に出会い、中学3年生だった2014年に、年齢別世界選手権の13・14歳部門で優勝した。
- ジャンプの高さは中学卒業時には6メートルを超え、クラブの体育館の天井に手が付いてしまうまでになったという。その後、8メートルに伸び「世界一」と評されるようになった。
- 2016年8月開催の「リオデジャネイロ五輪」トランポリン日本代表選手。ロンドン五輪で4位に沈んだ悔しさを、リオで晴らしてくれることに期待がかかっている。
選手活動
2歳でトランポリンに出会う
2歳から通い始めた近所の体操クラブでトランポリンに出会った。
体操も水泳も上手だったがトランポリンは別格だった
と伊藤を中学卒業まで指導した岡嶋正治コーチは語る。
幼稚園の同級生は膝の高さ程しか飛べないのに、初めから伊藤は自分の身長ほどの高さを軽々飛んでいたという。小学校入学後は、週6日の練習で”トランポリン漬けの生活”になったが、練習熱心で次々と高難度の技を覚え、頭角を現した。[出典1]
初めてのスランプを経験
大人の大会にも出始めた小学4年時には、初のスランプを経験。
大会のたびに演技を中断する失敗が続き、初めて人前で大泣きしたという。
しばらくして「練習をビデオに撮って」と母に頼み、夕食前に映像を確認するのが日課となり、以降は同年代の大会をほとんど制するようになった。[出典1]
中学3年生だった2014年は、年齢別の世界選手権の13・14歳部門で優勝。
2020年の東京五輪に向けて有望選手を発掘するオーディションに、最年少の14歳で合格している。[出典3]
ジャンプの高さは世界一
伊藤のジャンプ力について、
指導して身につくものではなく、天性のもの
と岡嶋コーチは話す。
それほど伊藤のジャンプ力はすごく、ジャンプの高さが中学卒業時には6メートルを超え、クラブの体育館の天井に手が付いてしまうまでに。
中学卒業後は強豪、金沢学院東高等学校で寮生活を始め、世界大会でも活躍。
ジャンプの高さは8メートルに伸び、瞬く間に「世界一」と評されるようになった。[出典1]
リオ五輪でリベンジ狙う
2008年の北京五輪の予選では思うような演技ができず、僅差で敗退。
ロンドン五輪は完璧といえる内容だったが続く中国人選手らが高得点をマークし、4位に沈んだ。[出典1]
演技には満足ですが、(メダル獲得という)結果が出なかった
と順位が決まると涙を流し、伊藤は話した。[出典2]
しかし、近日開催予定の「リオデジャネイロ五輪」日本代表選手に選出されている。[出典4]
日本代表でも遠征費などで年間100万円以上の持ち出しが必要というマイナー競技の実情を、誰よりも知るだけに、五輪でのメダル獲得が競技環境を変えるきっかけになると信じている伊藤は、
お世話になった人に恩返しを
後輩が気軽に競技を続けられるようにしたい
と語っている。[出典1]
SNSやブログでの様子
伊藤はツイッターのアカウントを開設しており、自身のブログ「I WISH」も設立している。
ツイッターのプロフィール欄には、
ロンドンオリンピック! トランポリン日本代表☆
次はリオでのメダル絶対取ります!!
気軽にフォローしてください。。。 トランポリン歴は20年!笑
と自身を紹介しており、他選手との写真などを頻繁にアップしている。[出典5]
▼トランポリン仲間と伊藤のプチ壮行会
https://twitter.com/higashi1102/status/755354082798206976
1988年11月2日、東京都生まれ。4歳の時に、地元クラブでトランポリン・水泳・体操を習う。その中でも、空高く飛ぶトランポリンに魅了され、小学1年の時コーチに勧められたことをきっかけに、トランポリン競技一本に専念する。小学3年で第一期オリンピック強化選手に選抜され、本格的にオリンピックを目指すようになる。高校は、監督や施設など練習環境の揃っている石川県に単身渡り、トランポリン漬けの日々を送る。2008年北京オリンピック選考会では、有力候補とされながらも代表入りを逃すが、その後国内・国際大会で数々の優勝を手にし、2008年シーズンでは世界ランキング1位に輝く。日本人選手では右に出るものはいないという、世界と戦える圧倒的な高さと精巧な演技力を兼ね備え、多くの観客を魅了する。初めて出場した第30回オリンピック競技大会は4位だったが、メダルへの手応えを感じた大会となった。将来はトランポリン競技をメジャーにするのが目標。
出典:タレントデータバンク