どんな人?
- 原千晶(はらちあき)は、日本で活動するタレント。北海道帯広市出身の1974年4月27日生まれ。
- 1994年にカーオーディオメーカーのイメージガールである「クラリオンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。
- 1995年から複数のバラエティ番組に出演。また、多くのラジオ番組にも出演している。
- 女優としても活動しており、映画『失楽園』やドラマ『相棒』(テレビ朝日)などに出演。
- アナウンサーの安住紳一郎とは従兄。
▼原千晶(左)
生い立ち
原千晶は、北海道帯広市出身の1974年4月27日生まれ。現在年齢は50歳。身長165cm。[出典1][出典2]
小学4年生の時の辛い記憶
原千晶は、小学4年生の時に父の転勤で北九州市に引っ越し。
地元の小学校へ通うこととなった原だったが、方言の壁があり、同級生たちのしゃべっていることが分からなかったという。
また、自身の話し方を同級生から指摘されることもあり、コミュニケーションが取れずどんどんと心を閉ざして行った。
その後、交通事故で左足を骨折し、運動会へ参加することができなくなり更に孤立。左足が完治した後は、バセドウ病にかかっていることが発覚し、入院生活となった。
孤独感から、引っ越し前に通っていた小学校へ毎週手紙を書くようになったという。
入院から1ヶ月が経った頃、小学校から届いた文集には、クラスメイトからの励ましの言葉が綴られていた。
更に、担任教師からも励ましの言葉が贈られ、元気を取り戻したという。[出典6]
芸能活動
原千晶は、1995年に「第21代クラリオンガール」に選ばれ、芸能界デビュー。[出典1]
デビュー後は、『ふたり』(日本テレビ)や『またお越しを』(TBS)、『純情きらり』(NHK)、『相棒』(テレビ朝日)などのドラマや、映画『失楽園』や舞台に出演。[出典2][出典4]
また、雑誌やテレビ番組でタレントとしても活動しており、TBSで放送されている情報番組『ひるおび!』では、火曜2部のコメンテーターを務めている。[出典3]
人物
1度目の子宮頸癌
原千晶は2005年に子宮頸癌、2010年には子宮体癌を経験している。[出典1]
原は当初、2004年の夏頃に身体の異変を感じていたという。元々生理痛が重い体質だったという原だったが、秋頃になると日常的に痛むように。
さすがにおかしいと感じ病院を受診したところ、1cmほどのポリープを発見。2005年2月にポリープを切除し、検査の結果がんであることが発覚したという。
医師からは、再発すれば命に関わるため、子宮全摘出を薦めらたそう。しかし、当時まだ30歳だった原は、将来結婚して子どもが欲しいと思っていたため、完治することを願い全摘出を拒否。
また、2005年当時は子宮頸癌ワクチンの接種が法律で認められておらず、検診の必要性も告知されていなかった。こういったこともあり、がんについて甘く見ていた部分があったという。[出典1]
ポリープがきっかけで見つかったがんは一部切除に止め、その後は芸能界に復帰。[出典5]
2度目のがん発覚
子宮頸癌の手術を無事に終え、芸能界に復帰した原千晶。
その後は経過観察のため病院へ定期的に通う生活へ。しかし、周りの友人が結婚し、子育てをしていること。また、自身の体調にも問題ないことが重なり、いつまでもがんと向き合うのが嫌になったという。
そんな中、3年目で病院へ行くことをやめてしまった。そして、2009年末に再びがんが発覚。今度は子宮体癌だった。
今回の手術では、準広範子宮全摘に加え、放射線治療と抗がん剤治療が必要だったそうで、リンパにも転移したステージ3Cだと発覚。