2019年10月31日更新
どんな人?
- 喜安浩平は1996年に大学を卒業後、広島県で演劇活動を続けていたが、1998年に「ナイロン100℃」の出演者オーディションに合格し客演としての出演からはじめた。後に所属となる。
- 脚本家として参加した2013年公開の映画『桐島、部活やめるってよ』で、「第36回日本アカデミー賞」優秀脚本賞を受賞。
- 2000年、大学時代に一緒に芝居をした仲間たちと「劇団ブルドッキングヘッドロック」を旗揚げ。一旦主宰を離れたが2015年より再び主宰となった。
芸能活動
芸歴
1998年に劇団ナイロン100℃のオーディションに合格、翌年広島から上京し、入団した。
オーディションに参加した『はじめの一歩』では、
僕が、最終選考に残った中で一番下手だったそうです。スタッフさんが“この子がうまくなってくことと、一歩が強くなっていく姿をシンクロさせよう”と腹を括ってくれたんだと思います
と自虐気味に話している。[出典1]
以降、1999年の『Φ(ファイ)』(間引役)をはじめ多くの作品に出演している。2000年には劇団ブルドッキングヘッドロックを旗揚げした。[出典2]一旦主宰を離れていたが2015年より再び主宰となった。
喜安は主宰に就くにあたって、ブルドッキングヘッドロックのブログで次のようにコメントしている。
私は、7年前に一度主宰を辞めた者です。再びその役目に戻ることに強い葛藤が無かったわけではありません。
それを振り切らせてくれたのは、劇団員の、前に進みたいという熱意と、これまで支えてくださったスタッフの皆様にまだ返し切れていないものがあるという思いと、もちろん、応援してくださったお客様にまだまだ届けたいものがあるという希望でした。
決意も固まり、今はもうすっかり次の作品のことで胸をドキドキさせております。
無理はしませんが、やり残しがないように、精一杯この先を楽しみたいと思います。[出典3]
日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞
2013年には、脚本で参加した映画『桐島、部活やめるってよ』で第36回日本アカデミー賞優秀脚本賞を受賞した。喜安にとっては初めての受賞であった。
賞を受け喜安は、
今思い返せば、私はなにもしていなかったのではないか。吉田監督をはじめ、原作の朝井さん、スタッフキャストの皆様が背中を押し、肩を抱き、時には無知で売ってくださったおかげと存じます。感謝しかございません。
と述べている。[出典4]
以降は脚本家としても活躍。2015年公開の映画『幕が上がる』や『ストレイヤーズ・クロニクル』など、続々と話題作を手がけている。[出典1]
影響を受けた人
影響を受けた人にナイロン100℃のKERAと『はじめの一歩』の製作陣らを挙げている。
喜安は、
“君が一番下手だった”という言葉は、常に頭の中に響いていないといけないと思っていて。人はそうそう上手にはならないし、上手になった気でいるだけかもしれない。“一番下手なんだ”という錨(いかり)を自分につけておくようにしています。
と語っている。[出典5]
SNSやブログでの様子
Twitterでは自身の出演作に関する投稿が多い。
https://twitter.com/kkiyasu/status/592679840295321603?lang=ja