2016年7月30日更新
どんな人?
- 塩浦慎理は、リオデジャネイロ五輪の水泳・男子400メートルリレーの日本代表に選ばれている競泳選手。神奈川県伊勢原市出身である。
- ロンドン五輪では、代表選考会の1ヶ月前に左手人差し指を骨折し、タイムが伸び悩んだため出場を逃した。当時は水泳を辞めることも考えていたという。
- 独特なヘアースタイルがトレードマーク。2013年の世界選手権出場の際に、名前を覚えてもらいたいと思い始めている。
プロフィール
身長 / 体重 | 188cm / 93kg |
出身地 | 神奈川県伊勢原市 |
最終学歴 | 中央大学 |
選手活動
輝かしい学生時代
2歳で水泳を始めた塩浦は、山王中学校を卒業後、水泳の強豪・湘南工科大付属高校へ。
高校3年のインターハイでは、50メートル・100メートルの2種目を制覇した。
中央大学へ進学した2011年8月には、学生のオリンピックである「ユニバーシアード」で、同2種目で銅メダル。
翌月の日本学生選手権では、50メートルで22秒11というタイムをマークし、日本新記録を樹立(当時)した。[出典2]
挫折を経験
ここまで着々とタイムを縮めてきた塩浦。
目標とする2012年7月のロンドン五輪まであとひと息、というところで、ロンドン五輪代表選考会の1ヶ月前に左手人差し指を骨折してしまった。
このけがで70㎏あった左手の握力は12㎏(小学生程度)まで落ちてしまう。
思わぬハプニングに気持ちが焦り、タイムは伸び悩み、ロンドン五輪への出場切符を逃した。
夢を逃した悔しさからロンドン五輪をほとんど見られなかったという。
塩浦は高校時代からロンドン五輪出場を固く信じて、つらい練習もこなしてきた。[出典2]
やる気もなくなり、水泳を本気でやめようと考えた
と当時を語る。悩んだ末に、2012年4月には就職活動を開始。
企業のセミナーに参加するなど、一時期水泳との距離を置いた。[出典1]
迷いの末に
しかし、自分を応援してくれた指導者や仲間、家族への恩返しは何かと考えた時、出てきた答えは現役続行。
水泳は今しかできない。精一杯頑張ろう
と塩浦は思い、就職活動をやめて水泳一本にまた戻った。[出典1]
リオ五輪内定
2016年4月8日、リオデジャネイロ五輪代表選考会を兼ねた競泳の日本選手権において、塩浦は400メートルリレーの代表に内定。[出典3]
故郷である神奈川県の伊勢原市役所を表敬訪問した際には、
五輪は子どもの頃から目指していました。
4年前のロンドン五輪出場を逃した悔しさをバネにして、メダルを持ち帰ってきたいと思います
と意気込みを。[出典4]
市職員や市民約150人から激励を受けた。[出典5]
メイクやファッション
トレードマークは髪型
塩浦のトレードマークは、独特なヘアースタイル。
2013年頃から現在のヘアースタイルにしており、
2013年の世界選手権の時に、名前を覚えてもらいたいと始めたが、やめ時がなく、続けている
と明かしている。[出典5]
▼気になる髪型はこちら。
https://twitter.com/shinri_shioura/status/719155391708274688