2022年9月23日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 宇崎竜童(うざきりゅどう)は、日本のミュージシャン・役者。東京都出身の1946年2月23日生まれ。
- 1973年にロックバンド「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」の歌手として芸能界デビューした。
- 妻であり作詞家の阿木燿子と共に、アイドル・山口百恵への楽曲提供を行い、数々のヒット曲を生み出している。
- 役者としても活動しており、映画『突入せよ!あさま山荘事件』や『罪の声』、ドラマ『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(NHK)などに出演。
▼宇崎竜童
生い立ち
宇崎竜童は、東京都出身の1946年2月23日生まれ。現在年齢は78歳。[出典1][出典2]
芸能活動
宇崎竜童は、1973年にロックバンド「ダウン・タウン・ブギウギ・バンド」と結成し歌手として芸能界デビューした。
バンドでは楽曲『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』や『スモーキン’ブギ』などのヒット曲を作り、人気を集めている。
作曲家としてアーティストへの楽曲提供も行い、妻であり作詞家・阿木燿子とのコンビではアイドルだった山口百恵へも楽曲を提供。
『横須賀ストーリー』や『プレイバックpart2』などのヒット曲を制作し、山口の黄金時代を支えている。
1981年のバンド解散後はソロとして音楽活動を継続し、また役者としても活動。[出典1][出典2][出典3][出典4]
映画『罪の声』や『アイ・アム まきもと』、ドラマ『ハゲタカ(ドラマ)』(NHK)や『阿佐ヶ谷姉妹の のほほんふたり暮らし』(NHK)、『一橋桐子の犯罪日記』(NHK)などに出演している。[出典5][出典6]
2019年には、阿木と共に「岩谷時子賞」特別賞を受賞した。[出典1]
人物
- 小学3年生の頃から音楽を聴き始め、特に洋楽や映画音楽に魅了されていた。
- 中学2年から高校時代まではブラスバンド部でトランペットを担当しており、当時からトランペット用の曲を作曲していた。
- 昔、発展途上国で『スタンド・バイ・ミー』を口ずさむ子どもに衝撃を受けたことがきっかけで、いつかそういう曲を作りたいと思っている。
- 最期は大勢に囲まれて看取られたいと考えている。
- わがままに生きてきたため、やりたいことは全てやったと考えている。[出典7]
- 初めて意識した音楽はエルヴィス・プレスリーの『ハート・ブレイクホテル』だった。
- 学生時代から1日1曲作ることを習慣付けている。
- なにかを決めて取り組まないとダラダラと過ごしてしまう。
- 1人きりで弾き語りライブをしている際は、もう1人の自分が隣でダメ出しをしてくる。[出典8]
- 妻の阿木燿子とは大学時代に出会っており、運命の出会いを感じ25歳で結婚している。[出典9]
公式SNS・ブログ
インスタグラム
出演
映画
- アンテナ (オフィス・シロウズ=ケングルーヴ)
- 破門 ふたりのヤクビョーガミ
- g@me.
- g@me
- ゴジラ・モスラ・キングギドラ 大怪獣総攻撃
- デビルマン (東映)
- パーマネント野ばら
- かぐや姫の物語
- 罪の声
テレビ番組
出典
- 『Biography』(Ryudo Uzaki Official Website)
- 『宇崎竜童(竜童組) PROFILE & DISCOGRAPHY』(記憶の記録LIBRARY)
- 『宇崎竜童のプロフィール・画像・写真』(WEBザテレビジョン)
- 『宇崎竜童 NHK人物録』(NHKアーカイブス)
- 『宇崎竜童 : 関連作品(映画)』(映画.com)
- 『宇崎竜童の出演ドラマ一覧』(WEBザテレビジョン)
- 『宇崎竜童さん』(熟年ばんざい)
- 『今月の音遊人:宇崎竜童さん「ライブで演奏しているとき、もうひとりの宇崎竜童がとなりでダメ出しをするんです」』(ヤマハ)
- 『宇崎竜童さん・阿木燿子さんの家族の物語。』(クロワッサン オンライン)
東京都出身。1973年にダウン・タウン・ブギウギ・バンドを結成しデビュー。『港のヨーコ・ヨコハマ・ヨコスカ』『スモーキン’ブギ』など数々のヒット曲を生み出す。作曲家としても多数のアーティストへ楽曲を提供。阿木燿子とのコンビで、山口百恵へ『横須賀ストーリー』『プレイバックpart2』『さよならの向う側』など多くの楽曲を提供、山口百恵の黄金時代を築いた。阿木と共に力を注いでいるライフワーク作品『Ay曽根崎心中』では音楽監督を務めている。自身のライブの他、映画・舞台音楽の制作、俳優等で幅広く活動中。2019年阿木燿子と共に岩谷時子賞特別賞受賞。
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