2016年7月17日更新
どんな人?
- 山本晋也は1964年から活動する映画監督、タレント、俳優、レポーターである。
- 1960年〜1970年代にかけて『狂い咲き』『未亡人下宿』シリーズなどといった成人映画を多数ヒットさせている。
- 日本映画界の生き字引的存在として、各種メディアに出演。深夜番組『トゥナイト』、『トゥナイト2』(共にテレビ朝日系)では約21年間に渡って性風俗についての話題をリポートした。
生い立ち
東京大空襲を経験
東京大空襲の起きた1945年3月10日、山本は森のなかにいたという。[出典3]
芸能活動
監督として
山本は日本大学芸術学部演劇学科を卒業し、1964年に岩波映画製作所にて[出典1]、当時「世界では黒澤明より有名」と言われていた羽仁進氏に師事。[出典2]
助監督となると1965年公開の映画『狂い咲き』で監督デビューを果たし、以後数多くの成人作品でメガホンを取った。[出典1]
山本によると、自身がデビュー出来たのはピンク映画の鬼才・若松孝二監督のお墨付きがあったから。[出典2]
以来、1960〜70年にかけて山本が手掛けた総作品数は250を超え、なかでも『未亡人下宿』シリーズは大変な人気を誇っている。[出典1]
主な監督作品歴は以下のとおり ※ 『未亡人下宿』シリーズは除く
1965年
『狂い咲き』[出典1]
1979年
『下落合焼きとりムービー』[出典3]
1993年
『第一回欽ちゃんのシネマジャック「生きる」』[出典3]
1994年
『第二回欽ちゃんのシネマジャック「食べる」』[出典3]
俳優として
映画監督として作品を発表する傍ら、俳優としての出演も行っている山本。
主な出演作としては、NHK連続テレビ小説『あぐり』、『私の青空』、NHK大河ドラマ『利家とまつ』、NHK広島開局80年ドラマ『帽子』などが挙げられる。[出典3]
コメンテーターとして
ときには日本映画界の生き字引的存在として、各種メディアにコメンテーターとして露出。[出典3]
深夜番組『トゥナイト』、『トゥナイト2』(ともにテレビ朝日系)へは通算約21年間も出演した。
こうした性風俗に関するルポタージュは後に自身のライフワークとなる。
以降はワイドショー『ワイド!スクランブル』(テレビ朝日系)に出演。水曜特集コーナーでは「山本晋也の人間一滴」と題し、あらゆる社会問題をレポートしている。[出典1]
ボランティア活動
エイズ問題に関心をいだいた山本は、1990年からボランティア活動を開始。
厚生省のエイズ撲滅広報委員(エイズ予防財団)に就任すると、全国の中・高等学校や都道府県の保健所にて講演を行った。
こうした活動は現在も継続中である。[出典1]
オリンピックにまつわる公演も
1965年に公開された市川崑監督作品『東京オリンピック』にカメラアシスタントとして参加したことから、当時のオリンピック会場の入館パスや当日の切符などといった貴重なアイテムを多数保有する山本。[出典3]
これが縁となり、2020年に開催予定の東京オリンピックについても講演を行っている。[出典1]
海外に赴く
かつて平壌映画祭へ参加したことをきっかけに、山本は度々北朝鮮に渡り、自らカメラを回しながら市民にインタビューを行っている。
また2014年11月には昭和大学医療チームや作家・曽野綾子と共にマダガスカルへ赴き、現地の取材にあたった。[出典3]