2020年2月24日更新
どんな人?
- 岡田茉莉子の父親は二枚目俳優の岡田時彦、母親は宝塚歌劇団卒業生の田鶴園子。夫は映画監督の吉田喜重である。
- 1951年、叔父のすすめで東宝ニューフェイスの第3期として東宝演技研究所に入所。入所して20日後に成瀬巳喜男監督の映画『舞姫』の準主役に抜擢された。以降、女優として東宝映画の主演スターとなった。
- 1962年には「岡田茉莉子・映画出演100本記念作品」として自ら主演映画『秋津温泉』をプロデュースする。同作は大ヒットし、多くの映画賞を獲得した。
生い立ち
岡田茉莉子は本名・吉田鞠子。日本映画の代表的な二枚目スターとして活躍した岡田時彦を父に持つ。母は宝塚歌劇団で活躍した田鶴園子。[出典2]
芸能活動
デビュー
岡田茉莉子は母のすすめで1951年、東宝演技研究所に聴講生として入り、3期ニューフェイスの仲間に加わる。
入所して20 日後、突然、川端康成原作・映画『舞姫』に準主役で起用されスクリーンデビューを果たした。
芸名は谷崎潤一郎が名付け親となって“ 岡田茉莉子” となった。同年11月に研究所を卒業し、東宝の専属となる。[出典2]
東宝を辞め、フリーに
岡田茉莉子は東宝の専属として、数多くの映画に出演し、「演技派女優」へと成長していった。しかし、スター女優として順調な歩みを続ける一方で、自身の出演希望作品は他の女優に取られ不満が募っていった。
1955年の契約切れをきっかけにフリーになることをほのめかすようになるが、東宝から強く引き止められると再契約を保留したまま出演を続けた。
東宝の映画『柳生武芸帳』 に助演したのを最後に、1957 年3月にフリーとなった。[出典2]
180本を超える映画に出演
岡田茉莉子は1951年の映画デビュー以来、180本以上の映画に出演している。
その中には、映画出演百本記念作として自身が主演・プロデュースし、数々の女優賞を独占した『秋津温泉』や、夫である吉田喜重の作品『エロス+虐殺』や『鏡の女たち』など11本の作品も含まれている。[出典1]
出演歴
テレビドラマ
1957年『浮舟』[出典3](JNN系)
2000年『なごや千客万来』(NHK系)
2008年『浅見光彦シリーズ26 津和野殺人事件』(TBS系)
映画
1950年『舞姫』
2003年『鏡の女たい』[出典4]