2024年3月4日更新
どんな人?
- 市川右團次(3代目)は、1972年6月に初舞台を踏んだ歌舞伎役者である。
- 2010年に長男が誕生した。
生い立ち
父は飛鳥峯王
1963年11月26日に大阪府で生まれた。[出典1]
父親は日本舞踊の飛鳥流宗家家元、飛鳥峯王である。[出典2]
芸能活動
歌舞伎役者として
1972年6月、南座『大岡政談天一坊』一子忠右衛門にて初舞台を踏んだ。
1975年には三代目市川猿之助(現・猿翁)の部屋子となり、同年1月大阪・新歌舞伎座、同年7月歌舞伎座の『二人三番叟』附千歳において初代・市川右近を名乗って部屋子披露となった。[出典2]
2008年に上演された舞台『ヤマトタケル』ではタケル・タケヒコのWキャストとして主演した。[出典3]
『傾城反魂香』初演
『傾城反魂香』にて絵師の又平に扮する市川は、その役柄を以下のように分析。
又平は朴訥なまでに純粋な人です。
絵の道を志して土佐の名字を継ぎたいという一心で生きている。
一心に役を極める、無心にその役を演じる――。役者の道とも共通するような気がします
また、2007年10月に初演となった同舞台については、
ずっと演じたかった役でしたが、僕は師匠から愛嬌がないと言われ続けていました。
又平は愛嬌が必要な役ですからね。
それが『華果西遊記』(平成12年12月歌舞伎座)の孫悟空で師匠に“案外、愛嬌があるじゃない”と認めていただいた。
そんなこともあって、念願の又平を初演できたのが、その三越歌舞伎の公演でした
と振り返っている。[出典2]
思い出深い「明治座」
市川は自身が何度も出演した「明治座」について、次のように語っている。
子役から中子役になり、やがて大人の役を演じるようになり、明治座での勉強公演では大役も経験させていただきました。
学生時代は、友達に本公演をこっそり後ろの客席で見せ、“僕はあの役をやるんだ”と言って勉強会(<待春会>)のチケットを買ってもらったりもしていました[出典2]
市川右團次(3代目)を襲名へ
2016年5月26日、記者会見を開くと、2017年1月に市川右團次(3代目)を襲名すると発表。
市川は、
右團次は関西のケレンの大名跡です。
人生を歌舞伎にささげ、伝統文化の発展のためにお力添えができるよう精進して参りたい
と意気込みを語っていた。[出典3]
私生活
離婚、そして再婚
1991年、元モデルの一般人女性と結婚するも離婚。
1999年に元客室乗務員の一般人女性と再婚したが、2002年には離婚している。[出典4]
再再婚&パパに
2006年に一般人女性と再再婚[出典4]すると、2010年4月18日には第1子となる長男が誕生した。
市川は当時、次のようなコメントを発表していた。
予定日より遅くなりましたが、おなかの中にだいぶいたからでしょうか、体重も泣き声も手も大きいですし、髪の毛も立派に生えています。どうみても男の子です(笑)。
時間が少しでもあると携帯電話で撮影した子供の写真を眺めていますが、自然と微笑んでしまいます。
妻は私に似ていると言ってくれています。やはり嬉しいものです。[出典5]