2019年6月30日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 1949年、宝塚歌劇団第36期生として宝塚歌劇団へ入団。養母である伯母が元タカラジェンヌで「有馬稲子」の芸名で活動していたことから、芸名を2代目の「有馬稲子」とし、娘役トップスターとして舞台へ出演した。
- 宝塚歌劇団在団中の1951年公開の映画『寳塚夫人(宝塚夫人)』で映画デビューし、同年7月には『せきれいの曲』で映画初主演を果たした。
- 1953年に宝塚歌劇団退団後は女優としてドラマ、映画、舞台と幅広く活躍している。
生い立ち
出身は大阪府池田市。[出典1]
幼年時代は母と韓国・釜山で過ごし、戦後に漁船で山口県下関市に引き揚げたことが鮮烈な原体験となっているとのこと。[出典2]
芸能活動
宝塚歌劇団に所属した後に映画界に転身し、数多くの映画やテレビドラマ等に出演している。[出典2]
宝塚歌劇団での活動
1949年に宝塚歌劇団に入団。華やかな美貌により、宝塚のトップスターとなった。[出典2]
1953年まで宝塚歌劇団に所属し、現在は「宝塚歌劇の殿堂」の一員となっている。[出典3]「宝塚歌劇の殿堂」とは「宝塚歌劇の発展に大きな貢献をした宝塚歌劇団の関係者」が選出されるものである。[出典3]
2014年に宝塚歌劇100周年として上演された『時を奏でるスミレの花たち』には、卒業生として出演している。[出典4]
映画界への転身
1953年に宝塚歌劇団を退団し、映画界に転身した。日本映画黄金時代の名作に数多く出演し、70を超える作品に出演しているとのこと。[出典2]
出演した映画の代表作として
- 『東京暮色』
- 『夜の鼓』
- 『浪花の恋の物語』
- 『わが愛』
- 『人間の条件』
- 『彼岸花』
- 『夢のまにまに』
宝塚歌劇以外の舞台作品への出演
1963年に『浪花の恋の物語』に出演して以来、数多くの作品に出演している。[出典1]
主な出演作品としては
- 『浪花の恋の物語』
- 『奇跡の人』
- 『風と共に去りぬ』
- 『はなれ瞽女おりん』
- 『越前竹人形』
- 『時の物置』
- 『蔵のある家』
- 『源氏物語』(朗読劇)
が挙げられる。[出典1]
ライフワークとなった『はなれ瞽女おりん』
1981年に上演された『はなれ瞽女おりん』は、全国で通算684回もの公演が行われた。これについて、有馬稲子自身は「ライフワーク」と語っている。[出典2]
「有馬源氏」と呼ばれた『源氏物語』
朗読劇『源氏物語』は各地で上演され、有馬稲子の豊かな表現力で人気を集め「有馬源氏」とも呼ばれたとのこと。[出典2]
テレビドラマへの出演
大河ドラマ『徳川慶喜』(NHK)や『はぐれ刑事純情派』(テレビ朝日系)など、数多くの作品に出演している。[出典1]
受賞歴
国や様々な団体から数多くの賞を受けている。以下、受賞した年の古い順に有馬稲子の受賞歴を挙げる。[出典1]
- ホワイト・ブロンズ賞(1965年)
- 紀伊國屋演劇賞(1980年)
- 文化庁芸術祭優秀賞(1983年)
- 芸術選奨文部大臣賞(1988年)
- 紫綬褒章(1995年)
- 日本映画批評家大賞ゴールデン・グローリー賞(1996年)
- 勲四等宝冠章(2003年)
私生活
現在はケア付きマンションに入居
現在は横浜市内にある高齢者向けケア付きマンションに住んでいる。[出典2]
ケア付きマンションでの体験に基づく高齢者向け政策や、生き方についての発言は多くの支持者を集めているとのこと。[出典2]
声帯ポリープを患う
2014年に声帯ポリープの手術をしたことを、『徹子の部屋』(テレビ朝日系)で語っている。[出典5]