2016年5月28日更新
どんな人?
- 村田英雄は生後まもなく浪曲師の浪花綱若・曲師の出利羽スミ子夫妻の養子となる。芸名を「京山茶目丸」と名乗り昭和8年にデビュー。
- 昭和36年「王将」が空前のヒットとなり、戦後初のミリオンセラーを打ち立てた。
- 平成14年6月13日、大阪市内の病院で死去。享年73歳。
芸能活動
空前の大ヒットを生んだ
村田英雄は幼少の頃より浪曲を歌っており、天才少年浪曲師と呼ばれていた。
昭和33年に、当時歌謡界の重鎮であった古賀政男より歌謡界へのデビューを持ちかけられる。
同年、村田英雄は「無法松の一生」でデビュー。しかしこの時ヒットには恵まれず、それから3年後にリリースした船村徹作曲の「王将」が空前の大ヒットを打ち立てた。
「王将」がミリオンセラーとなったことで村田は一躍注目を集め、「無法松の一生」「度胸千両」「人生劇場」の大ヒットに繋がった。[出典1]