2016年5月27日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 旧芸名は真中 瞳。1999年、日本テレビのバラエティー番組『進ぬ!電波少年』でデビューし、同番組の「電波少年的ハルマゲドン2」「電波少年的80日間世界一周」の企画でブレイクする。
- 2006年に所属事務所を辞め、オーストラリアへ留学。帰国後は都内でOLをしていた。
- 2010年より芸能活動を再開。芸名を真中瞳から東風万智子(こちまちこ)に改名し、『聖母・聖美物語』(フジテレビ系)で主演した。
芸能活動
マルチな才能
1999年にバラエティー番組『進ぬ!電波少年』(日本テレビ)の企画から「真中瞳」としてデビュー。
タレント活動の傍ら、2001年に初主演した映画『ココニイルコト』では、日本アカデミー賞新人賞を受賞した。
また『ニュースステーション』(テレビ朝日)ではスポーツキャスターに抜擢されるなど、マルチな活躍で知られている。
空白の3年間
東風は2006年夏、所属事務所であったワタナベエンターテインメントを辞め、オーストラリアに約1年半語学留学し、帰国後は都内でOLとして働いていた。
それから2009年に現在の芸名である東風万智子に改名して芸能界に復帰。
この空白の3年間について東風は、
活動休止中は、芸能界に戻ろうという気持ちは薄かったですね。
やはり一度離れてしまった世界ですから、改めてやってみようという気持ちになるまでには時間が必要でした。
と告白。
そんな東風を再び演者の道へ呼び戻すきっかけとなったのは、友人から朗読劇への出演を求められたことだった。
東風は当時の心境を、
ここから今の事務所に出会うことができたり、いいご縁といいタイミングが重なった。
演じる楽しさを改めて感じて、一からやってみようと思った。
と振り返っている。
こうして東風は、菅原道真が京の都を離れる際に詠んだ和歌からインスパイアされた“東風万智子”という名前で、再び歩き出すことになる。[出典1]
再スタート
改名後は2010年のテレビドラマ『相棒season8』(テレビ朝日)へゲスト出演し、そこから本格的に芸能生活を再開させた。
2014年には東風万智子として初の主演ドラマとなる『聖母・聖美物語』(フジテレビ系)が封切りとなり[出典1]、製作発表記者会見では、
キャスト、スタッフ一丸となって素敵な作品をするべく頑張っています。
と意気込みを語った。[出典2]
ミュージカルデビュー
2016年には少年隊の錦織一清が演出を手掛けるミュージカル『A New Musical “JAM TOWN”』でミュージカル初出演。
開舞台稽古と囲み取材が行われると、東風は、
とても緊張しますが、錦織さんに丁寧にご指導いただき、共演者の皆さんもアドバイスしてくださるので、あとは落ち着いてやるだけ
と意気込みを語った。[出典3]
出演
舞台
出典
- 『東風万智子、改名までの空白の3年間を独占告白「アルバイトをしながら」』(THE PAGE)
- 『この母性は愛か、エゴか?昼ドラ『聖母・聖美物語』がスタート』(テレビドガッチ)
- 『東風万智子が少年隊“ニッキ”演出の舞台でミュージカルデビュー!』(シネマトゥデイ)
1979年10月30日生まれ、大阪府出身の女優。2001年に主演を務めた映画「ココニイルコト」にて第26回報知映画賞 新人賞を受賞。2006年から一年半ほどオーストラリアへ留学、2010年春から再始動。ドラマ・映画・舞台で役者として再び歩み始め、女優としての幅を広げるべく様々な役柄に挑んでいる。趣味・特技は、英会話、ピアノ。
出典:タレントデータバンク