2016年7月16日更新
どんな人?
- 松山容子は愛媛県松山市で銀行を経営する名家に誕生。高校卒業後、NHK松山局に入局。後に雑誌「アサヒグラフ」の表紙モデルをつとめたことがきっかけで女優となった。
- 大塚食品の「ボンカレー」の初代イメージキャラクターとして知られている。
- 1971年、劇画家の故棚下照生と結婚し、芸能界を引退した。
プロフィール
出身地 | 愛媛県松山市 |
芸能活動
名家出身の女優
松山容子は愛媛県松山市で銀行を経営する名家に誕生した。
高校卒業後はNHK松山局に入局するが、雑誌「アサヒグラフ」の表紙モデルをつとめたことがきっかけで女優の道へ進む。
1960年、時代劇ドラマ『琴姫七変化』(日本テレビ系)で主演。美しい顔立ちと太刀さばきが話題となり人気を博した。
その後、ドラマのスポンサーだった大塚食品の「ボンカレー」イメージキャラクターとなった。[出典1]
引退から37年ぶりにメディアでコメント
現在は女優である松坂慶子がボンカレーのイメージキャラクターとなっているが、ボンカレー発売40周年を記念して、初代・松山のパッケージが登場。
それを受けて松山がインタビューに応じた。[出典1]
松山は現在でもボンカレーのパッケージがメディアで取り上げられたり、初代の看板が貼られているなど、未だにボンカレーのイメージキャラクターとして認知されていることに対し、
40年前のまま支持してくださることは、本当にありがたいですね。やっぱり、私とボンカレーは一心同体ですから。いまでも、(現キャラクターの)松坂慶子さんのパッケージを見かけると、ついうれしくなって余計な物まで買っちゃうのよ。なければないで心配になっちゃうし…[出典1]
とコメント。当時の事を振り返り、イメージキャラクター同様に、徹底的に「日本のお母さん」のイメージにこだわったと明かす。
今後の芸能界復帰には絶対にないと言っており、その理由については[出典1]
だって、皆さんのイメージが壊れちゃうでしょ。皆さん、日本のお母さんといえば『松山容子』とおっしゃっていただきますし…。私は仕事と家庭、両方に中途半端なことをしたくなかったので、結婚後は仕事をキッパリ辞めました。これからも平々凡々、時の流れるままに人生を終えたいと思っています[出典1]
などと語っている。