どんな人?
- 田村高廣は映画スター・阪東妻三郎の息子。大学卒業後、サラリーマンとなったが父が映画界入りを望んでいたことを知り、松竹に入社。映画『女の園』で俳優デビューした。
- 増村保造監督『兵隊やくざ』の勝新太郎演じる主人公・大宮と友情で結ばれるインテリの有田上等兵役でおなじみ。大宮と有田は名コンビとして注目を浴び、同作はシリーズ化された。
- 2006年05月16日、自宅で脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。享年77歳。
生い立ち
京都府京都市右京区太秦の生まれ。
父は戦前から活躍した映画スターの阪東妻三郎。
四人兄弟の長男で、三男・正和、四男・亮もともに俳優となっている。
1952年、同志社大学経済学部を卒業し、東京の商事会社に入社してサラリーマンになった。[出典1]
芸能活動
略歴
松竹時代
本人は俳優になる気はなく、サラリーマンとなったが、1953年7月7日に父が急逝。父が映画界入りを望んでいたことを知り、デビューを決意した。[出典2]
その後、父が最後に在籍していた松竹に俳優として入社する。
デビュー作『女の園』をはじめ、木下惠介監督の映画へ3作立て続けに出演した。
当時、人気だった松竹の二枚目スターに比べ地味なタイプだったため、しばらくは脇役として堅実な持ち味を発揮する。『空ゆかば』、『体の中を風が吹く』、『張込み』といった現代劇での好演が人気に繋がった。
晩年の本人の弁によれば、周囲の期待とは裏腹に
時代劇俳優一本でやるつもりはなく、かなり苦しんだ
という。以後も『笛吹川』をはじめ『背徳のメス』、『山河あり』などに主演するが、次第に脇役が多くなり、1963年に松竹を退社した。[出典1]
フリーになってから
フリーとなってからは、増村保造監督『兵隊やくざ』の、勝新太郎演じる主人公・大宮と友情で結ばれるインテリの有田上等兵役が好評を博した。
軍隊の理不尽さに反骨精神を向ける大宮と有田は名コンビとして注目を浴び、同作はシリーズ化された。
この第1作の演技でブルーリボン賞の「助演男優賞」に輝き
俳優としてやっと自由になれた
とのちに本人は語っている。
その後は主演作こそ多くないが、大作からインディーズ作品まで数々の映画に出演。
中でも、松竹時代からの恩師・木下監督の『父よ母よ!』で好演を見せた1980年は、ほかにも『遙かなる走路』、『動乱』、『天平の甍』と計4本に出演し「日本アカデミー賞助演男優賞」を受賞している。
翌1981年には『泥の河』で安食堂を営む男・晋平を哀愁を漂わせて見事に表現し、「毎日映画コンクール男優演技賞」に輝いた。1987年の『イタズ/熊』では頑固な老マタギに扮し、「芸術選奨文部大臣賞」を受賞。[出典1]
テレビドラマ出演
テレビドラマへの出演も多く、『和っこの金メダル』(NHK)、『赤い衝撃』(TBS系)、『美味しんぼ』(フジテレビ系)などの現代劇にも多数助演。晩年も『麻婆豆腐の女房』(NHK)、『ホームドラマ!』(TBS系)などで老いてなお枯れぬ存在感を発揮し続けた。[出典1]
私生活
脳梗塞
田村は2006年05月16日[出典1]自宅で脳梗塞で倒れ、そのまま帰らぬ人となった。
17日に親族関係者によって通夜が行われたが、「葬儀後に死を公表してほしい」との田村の遺志で、事実は関係者以外には伏せられていたという。
享年77歳だった。[出典2]
性格
ナイーブな青年
生前、田村と親交があった映画評論家の白井佳夫は田村の死去後、
非常に責任感が強く、お父さん思いの人。“バンツマ”(父親)の影がいつも頭にあったと思う。
本人は役者を志望していなかったようだが、おそらく阪東さんが、長男の高廣さんに自分の後を継がせたかったのだと思う。
無骨な父とは違ってナイーブな青年という感じだった。
戦後から一貫する典型的な日本男児の雰囲気を持つ貴重な存在です。
5、6年前から体調が良くなかったようだが…。いい人だった
と語っている。[出典2]