2022年9月23日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 由紀さおり(ゆきさおり)は、日本の歌手・役者。群馬県出身の1948年11月13日生まれ。田辺エージェンシー、安田音楽事務所所属。
- 小学生から高校生までひばり児童合唱団に所属し、姉の安田祥子と共に童謡歌手として活動していた。
- 1969年に『夜明けのスキャット』でソロデビューし、ミリオンセラーとなり同曲で歌番組『紅白歌合戦』(NHK)にも出演している。
- 役者や司会としても活動し、バラエティ番組にも出演。
- 1983年公開の映画『家族ゲーム』では、「毎日映画コンクール」助演女優賞を受賞した。
▼由紀さおり(左)
生い立ち
由紀さおりは、群馬県出身の1948年11月13日生まれ。田辺エージェンシー、安田音楽事務所所属。[出典1][出典2]
小学生から高校生の間は「ひばり児童合唱団」に所属しており、姉の安田祥子と共に童謡歌手として活動していた。[出典1]
芸能活動
由紀さおりは1969年に『夜明けのスキャット』にデビューし、同曲でミリオンセラーを達成。
歌番組『紅白歌合戦』(NHK)にも出演し、人気を集めた。
以降は役者や司会としても活動し、バラエティ番組にも多く出演している。
1983年公開の映画『家族ゲーム』では、「毎日映画コンクール」女優助演賞を受賞。[出典3][出典4]
以降も映画『カルテット!』やドラマ『時効警察』(テレビ朝日)、『ラブソング』(フジテレビ)や『雪国 -SNOW COUNTRY-』(NHK)、『一橋桐子の犯罪日記』(NHK)などに出演している。[出典5][出典6]
2021年には、映画『ブルーヘブンを君に』で初主演を務めた。
また、姉の安田祥子と日本の曲を歌い継ぐ活動を長年続けている。[出典1]
人物
- 三味線と踊りの稽古に通っている。
- 小さなホールでコンサートをする際は、イヤモニをせずに歌っている。
- 小学4年生の時に風邪をこじらせ音声障害で声が出なくなったことがある。
- 声帯が薄く細いため医者から「無理に声を出さないように」と言われており、歌唱時はファルセットを使用している。
- 食事や入浴は翌日歌うための準備。[出典7]
- 私生活では2度の離婚を経験している。
- 2度目の離婚後に引っ越した家は風呂場が4つある。
- 仕事柄ホテルを転々とする生活が続いていたため、自宅もホテルのように思っておりインテリアなどもこだわっていない。
- オンオフをきっちり切り替えるため、家仕事することも音楽を聴くこともない。[出典8]
- もともとは役者になりたかったが、入団希望していた劇団に入れず歌謡曲の道へ進んでいる。[出典9]
公式SNS・ブログ
ブログ
出演
テレビ番組
映画
出典
- 『由紀さおりプロフィール』(由紀さおり・安田祥子 安田音楽事務所公式サイト)
- 『由紀さおり - 略歴・フィルモグラフィー』(KINENOTE)
- 『由紀さおり NHK人物録』(NHKアーカイブス)
- 『由紀さおりのプロフィール・画像・写真』(WEBザテレビジョン)
- 『由紀さおり : 関連作品(映画)』(映画.com)
- 『由紀さおりの出演ドラマ一覧』(WEBザテレビジョン)
- 『由紀さおりが明かした離婚した元夫への想い「私は幼かったのよ」』(AERA dot.)
- 『インタビュー私のいえ∼すまいの履歴書∼「由紀さおり」さん』(住友不動産販売)
- 『由紀さおり、「女優になりたい」という夢破れ歌手の道へ』(クランクイン!)
群馬県出身。小学生時代、ひばり児童合唱団に所属。童謡歌手(コロムビア所属)として活躍。その後、NHKの歌のお姉さん、アニメの声優、CMソング等(300曲以上吹き込む)で活躍。1969年『夜明けのスキャット』でデビュー。全国にスキャットブームを起こし爆発的なヒットとなる。1986年よりスタートした、姉安田祥子(やすださちこ)との、童謡コンサートは国内のみならず、ニューヨーク・カーネギーホール、シドニー・オペラハウスをはじめ、ロス、パリ、ロンドン、ブラジル、香港、バンコクなど、海外でも公演を重ね、2005年秋、20周年を迎え記念コンサートツアーを行うなど精力的に活動。2006年1月作曲家、故・吉田正氏の生誕85周年を迎えるにあたり未発表曲『この世の果てまでそばにいて』を記念として発売、大人の純愛をテーマにした作品で好評を得る。2007年10月、シングル『しあわせのカノン~第2章~』が発売され、2008年には出演映画『歓喜の歌』が上演された。
出典:タレントデータバンク