2016年7月31日更新
どんな人?
- 西脇理恵は10代から撮影会のモデルやレースクイーンの仕事をはじめ、その後は新潟の一等地でクラブのママや、美容師、仲居、秘書、トラック運転手など20代前半で30数種類の仕事を経験する。
- 2000年には『ビューティフルライフ』(TBS)に出演、第2話からレギュラーになる。
- タレント活動の一方、虐めや性教育の問題をテーマに、中学・高校などでの講演活動を行っている。
生い立ち
幼少期
フランス人ハーフの父と日本人の母の間に生まれる。
3歳のとき両親が離婚し、2歳年下の妹とともに、新潟にある母の実家に転居するが、見かけが外国人っぽいからと、いじめられがちな妹を守るうちに、度胸がついたと語る。
そのため小学校のころからクラスの姉御的存在になり、中学生になると、不良の先輩からも一目おかれ、かわいがられたという。[出典1]
暴走族の道へ
そのような幼少期を経た後、高校へ入学するもすぐに退学。
レディース連合総長に任命され、バイクで暴走を繰り返す日々を送る。ナンパな男女が許せず、ナンパ男の車をボコボコにし、喧嘩、シンナー、万引き、無免許運転などを繰り返し、鑑別所に送られた経験も持つ。[出典1]
転機
鑑別所に送られた時、母親が面会に来たという。
「母はその場に立ちすくんで、両目からボタン、ボタンと大きな涙をこぼすんです。そのとき、ああ、もう潮時だと思いました。変わらなければ私はダメになるって」
こうして西脇は心を入れ替えたと明かしている。[出典1]
その後の経歴
トラック運転手、秘書、美容師などを経験している。[出典3]
芸能活動
NPO法人の代表理事を務める
西脇理恵は児童養護施設の子供達や震災による被災者支援などを行うNPO法人「ミリタリーエアポート」を主催し、代表理事を務めているという。
「来る人すべてを一人ひとりを抱きしめる」という理念をもつ国際団体「アンマ」とも関わり、東日本大震災のチャリティーイベントなどの活動も行っている。[出典2]