2022年6月23日更新
どんな人?
- ヒャダインは、日本のミュージシャン・タレント。大阪府出身の1980年7月4日生まれ。ファイブエイス、スターダストプロモーション所属。
- 本名は前山田健一(まえやまだけんいち)であり、こちらの名義でも活動している。
- 2007年から音楽活動を開始し、動画配信サービス「ニコニコ動画」にて「ヒャダイン」名義で楽曲投稿を開始。
- 「ニコニコ動画」での楽曲が評価され、J-POPやアイドル、アニメソングへの楽曲提供をするようになった。
- その後自身が「前山田健一」であることを明かし、以降は音楽活動に加えタレントとしても活動するようになった。
▼ヒャダイン
生い立ち
ヒャダインは、大阪府出身の1980年7月4日生まれ。現在年齢は44歳。ファイブエイス、スターダストプロモーション所属。[出典1][出典2]
幼い頃から音楽に慣れ親しんだ
ヒャダインは3歳の頃からピアノを弾き始め、音を耳でコピーして歌謡曲やゲーム音楽再現するのが得意だった。
その後高校受験の頃までピアノは弾き続けていたが、小学生になってからは勉強に夢中になったという。
当時からゲームが好きだったため、ゲーム感覚で勉強を行いしょっちゅう両親に頼んでドリルを解いていた。
小学6年生の時には公立学校が自分に合っていないと感じ、中学受験もしている。
大学進学の際は、実家の近くで1番入学が難しいだろうという理由で京都大学へ進学。
受験時は将来の夢や目標がなく、京都大学へ入学することだけが目標だったため入学後は燃え尽き症候群になってしまったという。[出典3][出典4]
就活断念を経て音楽活動を開始
ヒャダインは大学2年生の頃から、勉強よりも地元でのアルバイトに夢中になり、学校へ行かない日が多くなった。
そんな中3年生になり久しぶりに登校すると、同級生たちが既に就職活動を開始していたことが発覚する。
就活に乗り遅れ、「自分はフリーターになるしかない」と思ったヒャダインは、「学生らしいことをしよう」と単身アメリカへ長期滞在。
2001年8月からニューヨークのマンハッタンに滞在し、ほとんど毎日ブロードウェイのミュージカルを鑑賞する日々を送っていた。
しかし、帰国予定だった9月12日の前日にアメリカ同時多発テロが起こり、しばらく帰国できない状況に陥っている。
その際、自分の将来を見つめ「自分のやりたいこと、好きなことで名を上げたい」と思い至り、本格的に音楽活動を開始した。
帰国後大学を卒業してから、作曲家になるため上京している。[出典3][出典4][出典5]
芸能活動
ヒャダインは上京後しばらくの貧乏生活を経て、2007年に「ヒャダイン」名義で動画配信サービス「ニコニコ動画」にて楽曲を発表。
同名義での楽曲が評価され、以降は楽曲提供や自身でも歌唱を行うようになった。
自身が「前山田健一」名義で作詞作曲、編曲を担当したアイドルグループ「ももいろクローバー」の『行くぜっ!怪盗少女』が発売された2010年に、ヒャダインと前山田健一が同一人物であると公表。
以降は主に音楽活動を「前山田健一」名義で行い、「ヒャダイン」名義ではタレント活動や歌手活動を行なった。[出典4][出典5][出典6]
バラエティ番組『久保みねヒャダ こじらせナイト』(フジテレビ)や『サウナを愛でたい』(BS朝日)、『ヒャダ×体育のワンルーム☆ミュージック』(NHK)など多くの番組にレギュラー出演。[出典2]
また、ドラマ『奇跡の教室』(日本テレビ)や『重版出来!』(TBS)、『何かおかしい』(テレビ東京)などにも役者として出演している。[出典7]
人物
- アメリカ同時多発テロが起こった際、現場となったワールドトレードセンターには毎日ブロードウェイの格安チケットを買いに行っていたため、帰国予定日が9月12日でなければ巻き込まれていた可能性があった。[出典4]
- 大学時代は地元のレンタルビデオ店で働いており、上京後は渋谷のスクランブル交差点にあるレンタルショップでも働いていた。[出典4][出典5]
- 高校時代には音楽グループ「ピチカート・ファイヴ」の楽曲をよく聴いており、音楽面で影響を受けた。
- 音楽プロデューサーに昔から憧れており、小室哲哉やつんく♂が制作した楽曲も好んで聴いており、影響を受けている。
- ゲーム好きでもあり、『ファイナル・ファンタジー』シリーズ、『ドラゴンクエスト』シリーズ、『ロマンシング・サガ』シリーズなどからは音楽的影響も受けている。
- 上京当時は自身の学歴を利用することに抵抗があったが、音楽制作の時間を作るのに苦労したため家庭教師や深夜で時給のいい仕事をするようになった。[出典6]
- 「ヒャダイン」という名義は、ゲーム『ドラゴンクエスト』に登場する呪文から付けられている。[出典8]