2024年8月1日更新
出典:タレントデータバンク
ホセ・ルイス・チラベルトに関係するタレント
ホセ・ルイス・チラベルトは昭和40年7月27日生まれ。同年(1965年)に生まれた芸能人には、2月2日生まれの女優の小林沙世子や5月20日生まれの俳優の咲野俊介などがあげられる。
チラベルトのGKとしての技量は群を抜いている。世界中のファンに、その才能を認めさせたのが98年FIFAワールドカップ・フランス大会だった。DFに的確な指示を与えながら、正確なポジショニングと抜群の反射神経でゴールを死守。どんな状況でもチーム全体の動きを把握しながら、仲間たちに声をかけ、士気を高る姿はキャプテンとしての責務をも見事に果たしていた。決勝トーナメント1回戦で、惜しくもフランスにゴールデンゴールで敗れはしたが、優勝国フランスのバルテズを抑えての大会のベスト11に選出され、「キーパーは誰よりも攻撃的でならなければならない」というチラベルトの信念に間違いがないと身を持って示した。また、ユニセフ親善大使を務めるチラベルトは、自国パラグアイの子供達にとっては優しいスーパースターでもある。ファンレターにはすべて目を通し、病気や 体の不自由な子供には必ず自筆の返書を出す。多くの慈善事業や募金活動にも協力し、将来は貧しい子供達の為の病院を作るのが夢だという。99年パラグアイ 初開催のコパ・アメリカ出場辞退の裏には、「今のパラグアイには大金のかかる国際イベントより、学校や病院が必要なはず」という抗議の気持ちが込められていた。ノーベル賞作家ガルシア・マルケスの書を愛読し、グアラニ語(南アメリカ中央部のインディオ人は大半がグアラニ民族)の教員免許を持つインテリでもあり、 「いつか大統領になって、自国の貧しい人達を助けたい」という大志を抱く。ファンを魅了する左足のFKで奪ったゴールは60を優に越え、日本には、94年トヨタカップ(ACミランを破って優勝)をはじめ98年キリンカップ、JOMOカップ、2001世界選抜等で来日、2002KOREA JAPAN W杯にはキャプテンとしチームを引きつれBEST16入りを果たす。親日家のチラベルトは来日中、日本のTV番組等に出演。2002年にはW杯でのキャンプ中、恵まれない子供達のため松本市の児童施設を訪園するなど、サッカーを通して世界の子供達にメッセージを送る。同年、著書である『激突-日本よ激しく!!チラベルト吠える』を出版する。
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