2021年11月23日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 佐藤B作(さとうびーさく)は、日本で活動する役者。福島県福島市出身の1949年2月13日生まれ。オフィスボードビル所属。
- 早稲田大学在学中から演劇活動を開始し、大学中退後に「劇団自由劇場」に研究生として所属した。
- 1973年に「劇団東京ヴォードヴィルショー」を旗揚げ。舞台を中心に活動を続けた。
- 舞台出演と並行して、インディーズ映画やバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)に出演。
- 私生活では3度結婚しているものの、不倫ばかりしており話題になることがある。
▼佐藤B作
https://twitter.com/wataoni_tbs/status/1034644941215916032
生い立ち
佐藤B作は、福島県福島市出身の1949年2月13日生まれ。現在年齢は75歳。身長163cm。オフィスボードビル所属。[出典1]
実家は八百屋であり、弟がいる。[出典2]
真面目で勤勉家だった学生時代
佐藤B作は小学生の頃真面目で勉強ができ、そろばんや習字、英語と数学の塾に通っていた。また、小学4年生から6年生までは演劇部に所属していた。[出典2]
福島県立福島高校を卒業後は、世界で活躍する外交官や商社マンを目指すため、早稲田大学商学部に入学する。
大学に入学して間もないうちに、新宿・歌舞伎町のジャズ喫茶に通い始め、そこで観たドラマがきっかけで役者になろうと決意。
同大学の演劇サークルに入部して演劇活動に専念した。また、大学は3年で中退している。[出典3][出典4]
胃がんを患い闘病
佐藤B作は2007年に胃がんと診断され、翌年胃の3分の2を切除する手術を受けた。[出典5][出典6]
しかし2009年にがんが再発したため再度手術。退院後に放射線治療と抗がん剤治療を受けていた。[出典7]
佐藤B作は自身の病気について、
がんは、油断ならないしつこさがある。隠れ上手で、いつまた出てくるかわからない。よし、こっちも、恐怖につぶされず、毎日楽しく、心の弾むことを考えて生きようと決めました[出典7]
と語っている。[出典7]
芸能活動
自ら劇団を立ち上げて精力的に活動
佐藤B作は大学中退後、劇団「自由劇場」の研究生として役者活動を開始する。[出典8]
1973年には誰でも楽しめる軽演劇を目指し「劇団東京ヴォードヴィルショー」を結成。
自らが座長を務め、ミュージカル『宝島』で旗揚げした。結成当初はアドリブ満載の喜劇を制作し、数多くの公演を行ってきた。[出典8][出典9]
次第に台本を重視する喜劇にこだわり、喜劇作家である三谷幸喜や松原敏春などによる、ドラマ性の高いシチュエーションコメディを主に上演している。
また2013年に、同劇団の創立40周年を記念した舞台『パパのデモクラシー』や、舞台『その場しのぎの男たち』での成果が評価され「第48回紀伊國屋演劇賞」で団体賞を受賞した。
2016年には、息子である佐藤銀平とともに、親子劇団ユニット「東京No.1親子」を結成。
同年に第1回公演『あぶくしゃくりのブリガンテ』を上演。その後も2020年に第2回公演『夜鷹と夜警』を上演している。[出典10][出典11]
映画やドラマなど数多くの名作に出演
佐藤B作は舞台活動と並行して、1982年からバラエティ番組『欽ちゃんの週刊欽曜日』(TBS)に出演。
1984年には山田洋次が監督の映画『男はつらいよ・夜霧にむせぶ寅次郎』や、1987年公開の映画『マルサの女』などメジャー作品に出演する。[出典8]
1997年には脚本家・三谷幸喜の映画監督デビューとなった映画『ラヂオの時間』に出演。[出典13]
同年には大河ドラマ『毛利元就』(NHK)にも出演している。[出典8]
1949年2月13日生まれ、福島県出身の俳優。1973年、劇団東京ヴォードヴィルショー結成。「日本の喜劇」にこだわった公演活動を続けながら、2023年、創立50周年を迎える。結成以来座長を務める。
出典:タレントデータバンク