2016年6月30日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 司葉子は知人の推薦で雑誌「家庭よみうり」の表紙を飾った。後に東宝と契約し、映画『君死に給うことなかれ』で女優デビューを果たしてからは、東宝の看板女優へと成長。
- 1966年に出演した『紀ノ川』では映画賞を総なめ。2003年には紫綬褒章、2010年秋には旭日小綬章を受章した。
- 夫は元自由民主党衆議院議員の相澤英之。三男の妻は歌手でタレントの相田翔子である。
生い立ち
名家出身
司は1934年8月20日、鳥取県境港市に生まれる。
生家は因幡三郷士のひとつに数えられた名家だった。[出典1]
就職
司は1953年に上京し、共立女子短期大学家政科に進学。
翌年に卒業すると、大阪の新日本放送(現・毎日放送)に入社し、総務課の専務秘書を務めた。[出典1]
芸能活動
ひょんなことから芸能界へ
新日本放送の総務課で働いていた司だったが、あるとき知人の推薦により、雑誌「家庭よみうり」誌の表紙を飾ることになる。
それを見つけた東宝の丸山誠治監督が、主演女優が羅患したため企画が中断していた映画『君死に給うことなかれ』の代役として司を指名。
突然のことに司は戸惑い、その家族も当然ながら大反対だった。
しかし司の義兄の知人であった歌手で女優の笠置シヅ子に相談し、結局「これ1本だけ」という約束で出演を承諾することに。
なお司葉子という芸名は、映画『君死に給うことなかれ』内で司の相手役を務めた俳優・池部良がつけたものである。[出典1]
東宝の看板女優に
1954年夏、出演した映画『君死に給うことなかれ』が公開されると、批評家からは「柔らかい好感の持てる容貌」の新人女優として絶賛された。
だが、この時点でも司には女優を続ける気など無かったという。
しかし、「もう1本だけ池部良の相手役をやってみないか」と勧められて読まされた映画のシナリオに惹かれてまたも出演を承諾。
それが1955年に公開された映画『不滅の熱球』だった。
以降、司は次々に映画の出演を決め、「東宝の看板女優」と呼ばれるまでに成長した。[出典1]
お嬢様イメージからの脱却
当初、司は自身の清楚な雰囲気を活かして良家の子女役を演じるなどして「お嬢様イメージ」を獲得し、1958年には雑誌「平凡」内の読者人気投票ベストテンで女優部門第9位に東宝の女優として唯一ランクインしている。
しかし同年以降は久松静児監督の『愛妻記』(1959年)や堀川弘通監督『青い野獣』(1960年)などで熱演を示すようになり、これらが高く評価された結果、松竹の小津安二郎監督に招かれ、『秋日和』(1960年)で初の他社出演を果たしている。[出典1]
『紀ノ川』で数々の映画賞を受賞
制作会社の枠を超えて活躍するようになった司はその後、『用心棒』や『小早川家の秋』『その場所に女ありて』に続々出演。
1966年公開の『紀ノ川』では、キネマ旬報女優賞をはじめとするその年の映画賞を独占し、女優生活13年の集大成となった。[出典1]
テレビドラマ界へ
映画業界の斜陽化が進むと、それにあわせて司は活躍の場をテレビへと移行させた。[出典1]
当日主演した主な番組としては『3時のあなた』(フジテレビ系)や『私は名探偵』(テレビ朝日系)などが挙げられる。
結婚後は
そんななか、司は1969年に当時の大蔵省主計局次長・相沢英之と結婚。
1975年には相澤衆議院議員選挙の出馬を応援すべく、一時的に芸能界を離れている。
しかし1977年には市川崑監督による名探偵・金田一耕助シリーズ第3作『獄門島』で銀幕に復帰し、その勢いで1978年に公開された同シリーズ第4作『女王蜂』にも顔を出した。[出典1]
80〜90年代の出演
1980年、豊田喜一郎の伝記映画『遥かなる走路』で喜一郎の父の後妻役として出演。
翌年には当時大人気だった“たのきんトリオ”の主演映画『ブルージーンズ・メモリー』で、田原俊彦の母を演じた。
1992年には映画『勝利者たち』で男たちのマドンナを務めている。[出典1]
紫綬褒章、旭日小綬章を受賞
司は2003年、学術研究や芸術文化、技術開発などへの功労者が対象の紫綬褒章を受賞。[出典2]
2010年には旭日小綬章を受賞している。[出典3]
私生活
三男の妻は相田翔子
1969年に当時の大蔵省主計局次長・相沢英之と結婚した司。[出典1]
その三男は妻として歌手であり女優の相田翔子を迎えている。[出典4]
司は「ライオン」!?
2016年2月1日に放送された『徹子の部屋』(テレビ朝日系)に、相田翔子と共に出演。
同番組では、息子であり相田の夫である医師の相澤宏光氏からの手紙が披露され、本文中には司を「ライオン」、相田を「虎」と称した一文が登場した。[出典5]
出演
テレビ番組
- 続・社長三代記 (東宝)
1954年共立女子短大卒業後、大阪の新日本放送(現・毎日放送)に勤務。同年、『家庭よみうり』の表紙を飾ったのがきっかけでスカウトされ東宝と契約。映画『君死に給うことなかれ』でデビュー。1966年、映画『紀川』で第40回キネマ旬報賞主演女優賞、第9回ブルーリボン主演女優賞など、その年の演技賞を独占した。1969年、元衆議院議員の相沢英之氏と結婚。1999年、日本大正村の村長に就任。
出典:タレントデータバンク