2020年2月28日更新
どんな人?
- 左とん平は俳優。1957年、高校の同級生の辻しげるらと劇団を結成。1957年、ラジオ「トリロー・サンドイッチ」(日本放送系)のメンバーになる。
- 1981年1月26日、ポーカー賭博を400回繰り返し行った容疑で逮捕。翌年釈放。
- 女優森光子と仲が良く、「お母さん」「とんとんちゃん」と呼び合っていた。
芸能活動
舞台『ドリームジャンボ宝ぶね~けっしてお咎め下さいますな~』に出演
左とん平は2013年1月に東京・大阪で開催された舞台『ドリームジャンボ宝ぶね~けっしてお咎め下さいますな~』に出演した。
共演者には少年隊の植草克秀やお笑いタレントの鳥居みゆきらおり、公開舞台挨拶でも大いに盛り上がりを見せたという。
同舞台は、明治政府と神下山にいる妖怪たち、そして「新選組」の物語を上演しようとする職人たちが入り混じる、歌ありダンスあり笑いありの内容となっており、植草克秀が初座長を務めている。
左とん平は、植草克秀の「みんなふざけてます。お客さんが楽しく見れるように。あと、皆さん素敵な方ばかりで、教わることがたくさんある」というコメントに対し、
若いものに教わってるね[出典1]
と同調し、和気藹々とした現場の様子を明かした。。
左とん平らの他にも矢崎広、久野綾希子、長谷川純ら豪華俳優陣が出演しており、注目の舞台となった。[出典1]
私生活
俳優・小野ヤスシとの親交
左とん平は俳優の小野ヤスシとの交友が深いことで知られている。
2012年6月28日に小野ヤスシは腎盂癌で亡くなったが、東京・青山葬儀所で営まれた通夜に舞台出演後に名古屋から駆けつけ、無言の再会を果たしたという。
40年来の付き合いだったという左とん平は、
小野ちんと加藤とで3兄弟のようだった。小野が次男で、自分が長男で加藤が末っ子。次男が一番しっかりしてた。長男と弟をかばってた
よく頑張ったね。この3ヶ月間つらかったんじゃないかな[出典2]
と故人を偲んだ。[出典2]
一周忌でも盛大に
2013年6月28日には小野ヤスシを「偲ぶ会」が一周忌として東京・グランドプリンスホテル高輪で開催され、左とん平はもちろんのこと加藤茶や、里見浩太朗、井上順、徳光和夫、堺正章、小柳ルミ子、松山千春、松平健ら豪華な面々約300人が故人を偲んだ。
小野ヤスシは湿っぽいのが嫌いだったということもあり、小野が大好きだったエルヴィス・プレスリーの楽曲をBGMに華やかに催され、会場ではエルヴィスと生前の小野ヤスシとのコラボ映像が流れたほか、全員で名曲「Love Me Tender」を合唱し、天国の小野に捧げるという壮大な催しとなった。
発起人はドリフターズの加藤茶だったっといい、
早いものですね…
僕たちの結婚式で司会してくれて、その1週間後に亡くなってしまった。なんとも言えない、忘れられない[出典3]
と悲痛な想いを吐露した。[出典3]
また左とん平は、
(一周忌に300人もの)人数を集めるのは、あいつの人柄。大したもんだ。感心したな、これだけ集まるのは…。普通は死んだら忘れちゃうよ。(小野さんは)うそのない人だった。あいつは、本当は死にたくなかったと思う。やりたいことがあった。死んだときはがっかりした。あとは、加藤を見送るしかない。でも若いカミさんもらっちゃって、あいつも早く死ねないなぁ。俺は最後まで残る[出典4]
とコメントしている。[出典4]
出演
映画
- オケ老人!
- トラック野郎・男一匹桃次郎 (東宝)