2024年2月28日更新
どんな人?
- 志尊淳(しそんじゅん)は、日本で活動する役者。東京都出身の1995年3月5日生まれ。
- スカウトをきっかけに芸能界入りし、2011年公演のミュージカル『テニスの王子様』で役者デビューを果たした。
- 2014年放送の特撮ドラマ『烈車戦隊トッキュウジャー』(テレビ朝日)でライト・トッキュウ1号役を演じ、注目を集めた。
- 以降、ドラマ『表参道高校合唱部!』(TBS)や『あの日見た花の名前を僕達はまだ知らない。』(フジテレビ)などに出演し、ブレイクを果たす。
- 映画・ドラマ『ドルメンX』でのアイドルや、ディズニー映画『2分の1の魔法』の日本主題歌『全力少年』などで歌唱を披露している。
▼志尊淳
生い立ち
志尊淳は、東京都出身の1995年3月5日生まれ。現在年齢は29歳。身長178cm。[出典1]
学生時代はやんちゃな野球部員
志尊淳は学生時代悪ガキだったそうで、母が学校に呼び出されるなど、たくさん迷惑をかけて来たという。[出典2][出典3]
また、中学生時代は野球部に所属し、キャッチャーを担当しており、体格もがっしりしていた。
中学3年生の夏の大会で敗退し、部活が終わってしまった後は中高一貫校だったためやることもなく、いつの間にか体重が2キロ減。
これをきっかけにダイエットを始め、2ヶ月で17キロ落としている。
痩せることが楽しくなったというが、ゼロカロリー飲料とところてんのみを摂取し、ひたすら走るダイエット方法だったため、不健康だったそう。
また、そうしたダイエットを続ける志尊を見て、母が心配していたという。[出典4]
叔父は嵐と関係あり?
志尊淳の叔父は、シンガーソングライターの宮﨑歩であり、アイドルグループ「嵐」の楽曲『ハダシの未来』を作詞作曲。
また、叔父の宮﨑は「嵐」以外にジャニーズ所属の「KinKi Kids」や「KAT-TUN」など、様々なグループに楽曲提供をしている。[出典5]
2020年5月には、志尊と宮﨑がコラボ楽曲を発表。
新型コロナウイルスの影響で自粛が続く中、自分にできることを考えて制作された楽曲であり、ファンから歌詞を募っている。[出典6]
芸能活動を開始後に本格的な家出
志尊淳は中学時代から悪ガキだったため、家族間に溝があったという。
高校時代に芸能活動を開始すると、本名である「志尊」という名前が原因で、兄が知り合いから志尊の芸能活動について指摘されることが多かった。
そのため兄はそれをストレスに感じ、兄弟喧嘩が増えて家族の溝はさらに深まってしまったという。
こうした状況下で、志尊は自身の芸能活動を「1人でやって行くしかない」と思い、ある日突然住民票を移し、何も告げずに引っ越し。1〜2年ほど連絡もとらず、音信不通のまま過ごしたという。
その間に1度兄に呼び出され、女手一つで育てた母が泣いており、その気持ちを考えたことがあるのかと怒られ、ボコボコに殴られている。
その後志尊が出演したドラマで、家族に対して自身の気持ちをぶつけるシーンを熱演。それを見た家族が「本当はこう思っていたのでは」と思い、志尊に連絡して来たそうで、和解のきっかけとなっている。[出典2]
芸能活動
スカウトをきっかけに芸能界入り
志尊淳は街中で何度か芸能界入りのスカウトを受けていたが、その頃は野球部員で体型が大きかったこともあり、自分とは遠い場所だと思っていた。
しかし、何度もスカウトを受けたことや、17キロの減量で自分自身に自信が付いたことで芸能界入りを決意。