どんな人?
- 服部勇馬は陸上競技選手。第92回東京箱根間往復大学駅伝競走で、2区を1時間7分4秒で走り、日本人選手では1995・96年の渡辺康幸以来、20年ぶりの同区2年連続区間賞を獲得した。
- 箱根駅伝に出場することを目標に東洋大学に入学したが、大学4年次には世界にも目を向け、2016年2月28日に開催された「東京マラソン」でマラソンに初挑戦した。
- 服部が大学4年生のとき、東洋大学は「全日本大学駅伝」で初優勝を飾った。
選手活動
箱根駅伝で2年連続区間賞を獲得
第92回東京箱根間往復大学駅伝競走で、服部は2区を1時間7分4秒で走り、日本人選手では1995・96年の渡辺康幸以来、20年ぶりの同区2年連続区間賞を獲得した。
日本人20年ぶりの同区2年連続区間賞と快挙ずくめの快走でもあるが、
15キロ過ぎで両太ももがけいれんし始めた。最後も少し時間がかかり、1時間7分を切れなかった
と服部は反省した様子だった。[出典1]
マラソンに挑戦
マラソンに挑戦したいという気持ちが表れたのは大学3年生になってから。
箱根駅伝に出場したくて東洋大学に入学したが、出場しているうちに優勝することもできたので、その後は自分を高めていく上で段々と世界に目を向けるようになってきたという。[出典2]
また、同時期に東京五輪の開催が決まり「マラソンでメダル獲得」が服部の夢に変わった。[出典1]
初マラソン
2016年2月28日に開催された「東京マラソン」で、服部は初めてマラソンに出場。
中盤以降、2番手集団から抜けだし、終盤にかけて日本人トップとして快走し、沿道の声援に右手を掲げてこたえる余裕も見せていたが、次第にスタミナが切れ最後は2時間11分46秒でフィニッシュ。
残り5キロから苦しくなったと言い、
ラスト2キロは何とかゴールするような形になりました。
お尻、ハムストリングに来て、38キロからは前ももにも疲れが来ました。マラソンの難しさを感じました
と、終盤の疲労に苦しんだことを明かした。
箱根駅伝ではエースとして2区を任され、大学陸上界を代表する将来の有望選手だが、初マラソンは少し苦い思い出となった様子。
スタートラインに立つことを目標にやってきました。(外国人選手は)次元が違いました
と服部は語った。[出典3]
大学時代の陸上生活を振り返って
服部が通う東洋大学の平成27年度学位記授与式・卒業式が2016年3月に[出典5]日本武道館で行われた。その中で、学長賞と創立125周年記念スポーツ報奨金の授与が行われ、受賞者を代表して服部が登壇した。
特に陸上競技でいえば最初は箱根駅伝を目指して入学してきて4年生になった今ではマラソンの五輪代表選考レースを走ることができたので、4年間ですごく成長することができた。
と服部は語り、大学4年間での一番の思い出は「全日本大学駅伝」だと次のように明かした。
1年生のときにアンカーで逆転負けをしてしまって、そこからずっと優勝できなかったが4年生になってようやく大学初優勝することができてうれしかった。
ただ、最後の五輪選考レースでは最大限の力が発揮できなかったので、それは社会人になった実業団で自分の力を発揮できるような選手になりたい。[出典2]
私生活
尊敬する人物
服部は尊敬する人物について次のように話している。
ダンサーの菅原小春さんを尊敬します。
もちろん、ダンスそのものも素晴らしいのですが、日本のダンスの世界を変えたい、という強い気持ちにひかれます。[出典4]