どんな人?
- 村雨辰剛(むらさめたつまさ)は、日本で活動する庭師・タレント。スウェーデン出身の1988年7月25日生まれ。ワイエムエヌ所属。
- 中学の世界史で学んだ日本に興味を持ち、高校卒業後に日本へ移住。造園業に興味を持ち、2012年から愛知県西尾市の加藤造園に弟子入りした。
- 2015年に日本国籍を取得している。
- 加藤造園で5年間修行し、以降は東京の業者で働いている。
- 2016年からは芸能事務に所属し、タレントとしてメディアにも出演。2019年放送のドラマ『二つの祖国』(テレビ東京)では、役者デビューも果たした。
▼村雨辰剛
生い立ち
村雨辰剛は、スウェーデン出身の1988年7月25日生まれ。現在年齢は36歳。身長182cm。ワイエムエヌ所属。[出典1]
日本好きから庭師に
村雨辰剛は幼い頃から英語が得意だったため、国外に対する興味が強かった。
「なるべくスウェーデンと違う環境・文化の国」を意識する中で、日本へ興味を持ったという。
高校時代には、夏休みを利用してネットで知り合った友人の家に泊まる形で初来日。
ホームステイ先が横浜だったため鎌倉によく足を運び、伝統建築や日本庭園などを見ることが多かったそう。
初めての日本を体験し、「いますぐ日本で働きたい」という気持ちを持ったそうだが、帰国して高校を卒業。
その後、19歳の時に再来日し語学学校で英語とスウェーデン語の教師をして働き始めた。
また、芸能事務所にスカウトされCMやPRに出演し、通訳の仕事もこなしていたという。
しかし、今の自分ができる仕事しかしておらず、「日本文化への憧れ」から遠い職業に就いていることに違和感を感じ、造園所のアルバイトに応募した。
以降、庭師という仕事に出会い自分の天職だと感じ、愛知県西尾市で5年間修行。
庭の設計から行いたいという気持ちを抱き、修行後は東京へ出て庭師を続けている。[出典1][出典2]
ついには日本人に!
村雨辰剛は26歳だった2015年に、日本国籍を取得し日本に帰化した。
日本人になることを両親は当初反対。特に父からは「ちゃんと考えてのことなのか」「戦時下になったら日本のために戦えるのか」などと問われたが、自身の気持ちを伝え了承してもらったそう。
帰化するにあたりヤコブ・セバスティアン・ビヨークというそれまでの名前を日本名に変更。
庭師の親方の父が、昭和の作家・村雨退二郎由来の「村雨」を付けてくれ、村雨自身が辰年だったため「辰」の字と親方の名前から「剛」を取り、現在の名前となった。[出典2][出典3]
芸能活動
村雨辰剛は庭師としての活動のほか、芸能活動も継続。
2019年放送のスペシャルドラマ『二つの祖国』(テレビ東京)や、『ルパンの娘』(フジテレビ)に出演している。[出典1]
また、2022年放送の連続テレビ小説『カムカムエヴリバディ』(NHK)には、第6週から出演。進駐軍の将校であるロバートを演じた。[出典4]
同年には、ドラマ『わげもん〜長崎通訳異聞〜』(NHK)にも出演しており、オランダ商館の勝手方・ヤンセンを演じている。[出典5]
ドラマのほか、体操番組『みんなで筋肉体操』(NHK)や、「アメリカン・エキスプレス」「資生堂」などのCMにも出演。
バラエティ番組『YOUは何しに日本へ』(テレビ東京)では、ナレーションを務めている。[出典1]
人物
- 日本に帰化してからスウェーデンに帰国した際、日本のパスポートで出国したため中継先だったドバイで「あなたは日本人じゃないでしょ」と言われもめたことがある。[出典2]
- スウェーデン南部の田舎町で育ったため、家には馬や豚、うさぎや犬などがいた。
- 踏切近くで鳴いていた子猫を保護し、「芽吹き」と名づけて共に生活している。[出典6]
- 師弟関係のある日本の伝統的な職業に憧れを抱いていた。
- 焼き魚が好き。
- 厳しい父だったため、悪さをすると罰として腕立て伏せをするよう言われていた。[出典7]
- 子どもの頃はインドア派で、部屋にこもり一人でゲームをしてばかりだった。
- 日本語で好きな言葉は「不退転」。スウェーデン語で好きな言葉は「ちょうどいい」という意味の「Lagom」。
- 日本で1番好きな場所は鎌倉。
- 過去に結婚しており、娘がいる。[出典8]