2024年1月16日更新
どんな人?
- 竹中直人(たけなかなおと)は、日本で活動する役者・コメディアン・映画監督。神奈川県出身の1956年3月20日生まれ。レディバード所属。
- 多摩美術大学在学中から映画制作を行い、劇団「青年座」にも入団。
- 1983年に演芸番組『テレビ演芸』(テレビ朝日)に出演以降、コメディアンとして活躍した。
- 役者としても活動し、1991年公開の監督・主演を務めた映画『無能の人』では「ベネチア国際映画祭」で国際批評家連盟賞を受賞している。
- 多摩美術大学美術学部グラフィックデザイン学科客員教授も務めている。
プロフィール
芸名 / 読み | 竹中 直人 / たけなか なおと |
誕生日 | 3月20日 |
出身地 | 神奈川県 |
デビュー年 | 1983年 |
身長 / 体重 / 血液型 | 168.0cm / 58.0kg / A型 |
星座 / 干支 | うお座 / 申年 |
出典:タレントデータバンク
▼竹中直人
生い立ち
竹中直人は、神奈川県出身の1956年3月20日生まれ。
現在年齢、68歳。レディバード所属。[出典1]
“モノマネ”で人気者に
竹中直人は一人っ子。
幼い頃は大人しく、自宅で絵を描いて遊ぶことが多かったという。
そんな竹中直人は、中学校時代に「引っ込み思案の自分を変えたい」と思い立ち、有名人のモノマネに挑戦。
モノマネがウケたことで、クラスの人気者となった。[出典12]
多摩美術大学を卒業
竹中直人は、父親の影響で幼い頃から映画好きに。
高校時代は美術部に所属し、自主制作映画を撮影していた。
その後、1976年に多摩美術大学グラフィック科に入学。
劇作家・宮沢章夫らとともに本格的な自主制作映画の製作に取り組んだ。[出典2]
また、2006年4月から同大学の美術学部グラフィックデザイン学科で客員教授を務めている。[出典15][出典16]
芸能活動
コメディアンとしてブレイク
竹中直人は、多摩美術大学在学中に劇団「青年座」に入団。劇団員として活動を開始した。
その一方で、素人参加番組に多数出演するようになり、1983年にはバラエティ番組『テレビ演芸』(テレビ朝日)に出演。
“笑いながら怒る人”や形態模写を中心としたネタを披露し、グランドチャンピオンに輝く。
その後はコメディアンとしてブレイクを果たし、テレビなどで活躍した。[出典3]
1984年放送のドラマ『元祖おじゃまんが山田くん』(フジテレビ)でドラマデビュー。[出典2]
また、翌年の1985年にお笑いタレントの大竹まこと・きたろうらと演劇ユニット「ラジカル・ガジベリビンバ・システム」を結成した。[出典3]
コメディアンとしての印象が強かったが、1988年公開の映画『天使のはらわた・赤い眩暈』で初主演を務めたことを機に、役者として大きく飛躍。
その後も、数多くの映画・ドラマに出演している。[出典2]
▼お笑いタレントの大竹まこと
神奈川県出身。1983年、テレビ朝日系『テレビ演芸』でデビュー。映画・TV・舞台を中心に活躍。主な出演作品に、映画『夕ぐれ族』『ヌードの夜』『Shall we ダンス?』『ウォーターボーイズ』『あずみ』『大奥』、フジテレビ『ゲゲゲの鬼太郎』、TBS『サラリーマン教室』、NHK『大河ドラマ「秀吉」』、テレビ東京『天下騒乱~徳川三代の陰謀』など多数。その他、アニメのアテレコ、吹き替えなど声優としての活動、音楽活動、著作活動など、多彩な能力を発揮。また、自身監督作品として『無能の人』『東京日和』『山形スクリーム』などがある。
出典:タレントデータバンク