2017年2月28日更新
どんな人?
- 米倉斉加年は1957年に劇団民藝へ入団、俳優として活動する一方、2000年に退団するまで演出家も務めた。
- 画家として、ボローニャ国際児童図書展にて、1976年作『魔法おしえます』と1977年作『多毛留』で、2年連続グラフィック大賞を受賞した。
- 2014年8月26日腹部大動脈瘤破裂により故郷である福岡にて死去。享年80歳。
芸能活動
俳優としての活躍
米倉斉加年は1957年に劇団民藝水品演劇研究所に入所し、2000年に同劇団を退団するまで、宇野重吉に師事し、宇野演出作品に数多く出演、および共演した。
劇団民藝での代表作は『ゴドーを待ちながら』、『ラブ』など。
劇団の中心俳優、演出家として活躍した。[出典1]
また、その他の代表作に舞台『リア王』や『オットーと呼ばれる日本人』、『放浪記』など。
特に、舞台『放浪記』では森光子が演じる林芙美子の友人役を長年にわたり演じた。[出典2]
テレビドラマでは『勝海舟』(NHK)、『花神』(NHK)、『ちりとてちん』(NHK)、
映画では森谷司郎監督『動乱』、山田洋次監督『男はつらいよ』などに出演し、
癖の強い悪役や、存在感のある脇役など、独特で重厚感のある演技で有名になった。[出典2]
また、食品メーカー「モランボン」の焼肉のタレ「ジャン」のCMに出演した。[出典5]、
絵本作家としての活躍
米倉斉加年は、“日本三大奇書”とも呼ばれる夢野久作の『ドグラ・マグラ』や、中学校の国語の教科書に1987年以来掲載され続けている『大人になれなかった弟たちに……』の挿絵を担当している。[出典6][出典7]
なぜ絵本をかくようになったという質問に、
昔の童話は,気持ち悪いものがたくさん出てきたり,ストーリーが残酷だったりするものが多かった気がします。ところが,最近の絵本は,だんだん気持ち悪さや残酷さが薄れていっているように思えます。温室の外に出したらすぐ枯れてしまう草花のように,子どもたちを育てているのでは,と感じることがあります。そんな中,自分の思う絵本をかきたいと思ったのが最初だったのかもしれません。[出典7]
と答えている。
多彩な才能を持つ米倉斉加年 主な受賞歴は
上記のように米倉斉加年は俳優・演出家として活動する一方、作家や絵師としても活動しており、
そのそれぞれの評価が高く、数々の賞を受賞している。[出典1]
受賞歴は、
1967年 第11回新劇演技賞と第1回紀伊國屋演劇賞
1976年 ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞子供の部
1977年 ボローニャ国際児童図書展グラフィック大賞青年の部
1981年 第4回日本アカデミー賞優秀助演男優賞
1988年 第23回紀伊國屋演劇賞[出典1]
などがある。
私生活
2014年8月26日 他界
米倉斉加年は2014年8月26日、腹部大動脈瘤破裂のため、福岡市内の病院で亡くなった。享年80であった。[出典2]
米倉斉加年の妻は
まだ一度も泣けないの。半身が削ぎ落ちたような心持ちなんですよ[出典4]
と語っている。
出演
映画
- 小さいおうち
- RAILWAYS 愛を伝えられない大人たちへ 吉原満 役
- ALWAYS三丁目の夕日’64 (東宝)