2020年9月30日更新
どんな人?
- 野際陽子(のぎわようこ)は、日本で活動していた役者・元アナウンサー。富山県出身の1936年1月24日生まれ。
- 立教大学卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。1962年にフリーへ転身し、翌年放送のドラマ『赤いダイヤ』(TBS)で役者デビューを果たした。
- 以降、バイプレイヤーとしてドラマ『ずっとあなたが好きだった』(TBS)や『トリック』シリーズ(テレビ朝日)、映画『チームバチスタ』シリーズなどに出演している。
- 1973年に役者の千葉真一と結婚。後に役者として活動する娘の真瀬樹里を授かったが、1994年に離婚している。
- 3年間の闘病を経て、81歳となった2017年に肺腺がんで死去。
プロフィール
生年月日 | 1936年1月24日 |
没年月日 | 2017年6月13日(満81歳没) |
身長 / 血液型 | 163cm / A型 |
出身地 | 富山県富山市 |
最終学歴 | 立教大学文学部英米文学科 |
デビュー年 | 1958年 |
所属事務所 | ラヴァンス |
▼野際陽子
https://twitter.com/livedoornews/status/875474941247868928?s=20
生い立ち
野際陽子は、石川県出身の1936年1月24日生まれ。享年81歳。[出典1]
立教大学文学部英米文学科を卒業
野際陽子は、5人兄弟の長女として富山県で誕生。
立教大学文学部英米文学科を卒業している。[出典16]
また、芸能リポーター・東海林のり子は同大学の1学年先輩で、同じ英語会(ESS)に所属していた。
東海林のり子曰く、当時の野際陽子はすっぴんで白いブラウスに紺のスカートという地味な出で立ちだったという。[出典17]
▼東海林のり子(写真右)
https://twitter.com/diamondyukai/status/934477968977494017
2017年に肺腺がんで死去
野際陽子は、3年間の闘病を経て2017年に肺腺がんで死去。
享年81歳だった。
東京都内の病院にて、長女で役者の真瀬樹里の腕の中で永眠したという。
野際陽子は、闘病期間中も役者としての仕事を続けており、2017年放送のドラマ『やすらぎの郷』(テレビ朝日)にも出演していた。[出典8]
▼真瀬樹里
https://twitter.com/JuriManase/status/1128938274079141888
芸能活動
NHKにアナウンサーとして入局後、フリーへ転身
野際陽子は立教大学を卒業後、NHKにアナウンサーとして入局。
1960年放送の情報番組『おはようみなさん』(NHK)では司会を務めた。
その後、1962年にフリーアナウンサーへ転身。[出典1]
同年に情報番組『女性専科』(TBS)の司会に抜擢されている。[出典2]
1963年放送のドラマ『赤いダイヤ』で役者デビュー
野際陽子は1963年放送のドラマ『赤いダイヤ』で役者デビュー。
その後、1968年放送の大ヒットドラマ『キイハンター』(TBS)でヒロインを務めるなど、数多くのドラマ・映画に出演している。[出典2]
社会現象にもなった1992年放送のドラマ『ずっとあなたが好きだった。』(TBS)では、主人公の美和(賀来千香子)の姑・悦子を怪演。大きな注目を集めた。[出典2][出典3]
同作は、主人公の美和(賀来千香子)の夫・冬彦(佐野史郎)のマザコンぶりが話題となり、大ヒット。最終回の視聴率は34.1%を記録を記録した。[出典3]
2000年にドラマ第1作が放送された『トリック』シリーズでは、シリーズ最終作となる2014年公開の映画『トリック劇場版 ラストステージ』までの全作に出演。14年間に渡り主人公の山田奈緒子(仲間由紀恵)の母親・山田里美を演じた。[出典4][出典5]
また、現役医師である小説家、海堂尊のベストセラー小説を原作とした映画『チームバチスタ』シリーズにも出演。2008年公開の『チーム・バチスタの栄光』、2009年公開の映画『ジェネラル・ルージュの凱旋』の2作で看護師・藤原を演じた。[出典6][出典7]
2017年公開の映画『いつまた、君と ~何日君再来~』が遺作とされている。[出典1]
人物
- 趣味はスキー。[出典9]
- 30歳の時にフランスのパリにあるソルボンヌ大学に留学。帰国時には羽田空港にミニスカートで登場し、日本での”ミニ第1号”として知られている。[出典2]
- マザコンの息子を持つ母親役を演じたドラマ『ずっとあなたが好きだった。』(TBS)に出演していた際、「もしこんな息子が生まれたら」と恐ろしく感じていたと語っている。また、同作は海外からも注目を集め、海外メディアから取材を受けたこともあるという。[出典10]
- 天然で飾らない性格。[出典11]
- 口癖は「めんどくさい」で、台本もベッド以外では開かなかった。[出典11]
- タレントの黒柳徹子とNHK時代から仲が良く、一緒にフランス語を習ったり、同じ服屋で服を作ってもらったりしていた。[出典12]
- 役者・千葉真一との離婚後、他の男性にデートに誘われるも人見知りが激しく、デートには娘で役者の真瀬樹里を無理やり同伴させていた。[出典13]
- 旅番組『旅の香り(時の遊び)』(テレビ朝日)で共演して以来、お笑い芸人・ヒロシを可愛がっていた。ヒロシ曰く、ブレイク中も人気が低迷したあとも態度を全く変えずに接してくれ、番組スタッフにも「うちのヒロシをよろしく」と頼んでくれていたという。[出典14]
- NHK時代、転勤により名古屋に住んでいた。また、その際に借りていたアパートで窃盗の被害に遭った。[出典12]
- “思い出の味”には、べっ甲寒天・シュークルート・お刺身サラダ・たくあんの味噌汁を挙げている。[出典15]
結婚
1973年に役者・千葉真一と結婚
野際陽子は、1973年に役者の千葉真一と結婚。
千葉真一とは1968年放送のドラマ『キイハンター』(TBS)で共演している。
その後、野際陽子が37歳の時に娘の真瀬樹里を出産。
1994年に千葉真一と離婚
野際陽子は、1994年に千葉真一と離婚。
22年間の夫婦生活を終えた。
また、離婚理由については「夫婦である感覚が薄くなってしまった」と語っていた。[出典9]
その後、千葉真一は再婚。
そのため、野際陽子との娘・真瀬樹里にとって2人は、年の離れた異母兄弟にあたる。[出典18]
▼千葉真一(写真上)・真剣佑(写真左)・真瀬樹里(写真中央)・眞栄田郷敦(写真右)
https://twitter.com/JuriManase/status/439806583317348352