2018年11月12日更新
モデルをやめようと思った[出典7]
という。
▼モデルを辞めようとしたことも
そもそも性格的に
あまり目立ちたくなかったし、どうしても華やかな世界がすごく得意なわけではなかった[出典7]
と話す高垣麗子。しかし当時、友人から
やりたくてもね、できない人がたくさんいるんだよ。仕事がないわけじゃないんだし、できるうちは絶対やったほうがいい[出典7]
とアドバイスされたり、雑誌の読者からの
モデルになりたいけど生まれつき背が低くてできない[出典7]
といった手紙を読み返したことで、モデルを続ける気力が湧いたそうだ。[出典7]
『AneCan』で9年4ヶ月間専属モデル
高垣麗子は2008年2月号より、ファッション誌『AneCan』の専属モデルとしての活動をスタートさせた。
『AneCan』専属モデルの蛯原友里・押切もえ・高垣麗子は3トップと称され、高垣は高いファッションセンスと気取らない性格で人気に。[出典4]
そんな高垣麗子だが、2016年6月に発売された『AneCan』7月号をもって同誌を卒業。
高垣が『AneCan』の専属モデルでいた期間は9年4ヶ月だった。[出典10]
▼『AneCan』専属モデルとして活躍
アクセサリーやルームウエアのプロデュース
高垣麗子はモデル業の他に、アクセサリーブランド「CISOLASSE(シソーラス)」のクリエイティブ・ディレクターを務めるほか、ルームウェアブランド「oeuf doux(ウフドゥー)」のプロデュースも行っている。[出典9][出典11]
▼CISOLASSEの仕事中
「CISOLASSE」は2013年10月に設立した、大人の女性向けのアクセサリーブランド。同ブランドについて、
大好きな南仏へ行ったときに見た花、空、風などの自然をモチーフにしたものが多いです。デザインはもちろん、実用性と心地よさは何よりも大切にしています[出典5]
▼「CISOLASSE」のフープピアス
プチセブン専属モデルでデビュー。その後 、雑誌『JJ』『MORE』『CLASSY.』『AneCan』 等、数々のファッション誌に出演。現在では『Marisol』『STORY』『andGIRL』等のファッション誌で活躍。ハッピー感のある笑顔が多くの女性に愛され、彼女の丁寧なライフスタイルにあこがれる女性も急増。2018年7月に女児を出産。
出典:タレントデータバンク