2022年8月30日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- さかなクンは、日本の魚類学者・タレント・イラストレーター。東京都出身。
- 魚や動物に関連する仕事を転々としつつ、タレントとしても活動をしている。
- 2006年には、東京海洋大学客員准教授に就任。
- 2010年には絶滅種とされていた魚・クニマスを発見し、魚類学者でもある第125代天皇明仁から名指しで感謝され話題となった。
- 2015年には、東京海洋大学から名誉博士の称号が授与されている。
▼さかなクン
生い立ち
さかなクンは、東京都出身。年齢や生年月日は公表していない。[出典1][出典2]
幼い頃から魚好き
さかなクンが魚に興味を持つようになったのは、小学2年生の時に同級生が描いたタコの絵がきっかけだった。
「実際にタコを見てみたい」と思い、海や水族館へ通い詰めている。
その後母からプレゼントされた魚が描かれている下敷きをきっかけに、魚にも興味を持つようになった。
また、母はさかなクンが興味を持つことや好きなものを全力で応援し、いつでも見守ってくれていたという。
自身の「好き」という気持ちを全面的に支持してくれる環境が、後の活動にも大きく影響している。[出典3][出典4]
勘違いから吹奏楽部へ
さかなクンは中学時代、「水槽学」と勘違いして吹奏楽部に入部。
パーカッションパートを希望したが緊張で何度もスティックを飛ばしてしまい、3年間トロンボーンを担当した。
高校時代にも吹奏楽部へ入部し、バスクラリネットを担当している。[出典3][出典5]
また、中学時代は部内で誰からも口をきいてもらえない、無視されるといういじめが突然起こったこともあったという。[出典6]
芸能活動
さかなクンは、高校3年生の時にバラエティ番組『TVチャンピオン』(テレビ東京)の「第4回全国魚通選手権」で優勝。
その後は水産大学を受験するも失敗し、専門学校へ入学。
しかし水族館実習でも失敗が続き、卒業後は熱帯魚ショップや寿司屋でアルバイトをしていた。
寿司屋で魚のイラストを描いたことがきっかけとなり、魚専門のイラストレーターとして活動を開始。
2001年には動物番組『どうぶつ奇想天外』(TBS)で、お魚ナビゲーターを務めた。
同番組がきっかけとなり、その後自身のトレードマークとなる「ハコフグの帽子」を被り始めている。
以降も全国での公演や執筆活動を続け、2006年には東京海洋大学客員准教授に就任。
2010年には、絶滅種とされていたクニマスの生息確認に貢献し、海洋の普及・啓発活動に貢献を続け「海洋立国推進功労者」として内閣総理大臣賞を受賞している。
2015年には、東京海洋大学から名誉博士の称号が授与された。
また2016年公開のディズニーピクサー作品『ファインディング・ドリー』では、字幕・吹き替え版において海洋生物監修を務めている。
2022年には、自身の自伝書籍を原作とした映画『さかなの子』が公開された。[出典3][出典7]
人物
- 年齢を公表していないが、お笑いコンビ「ドランクドラゴン」の鈴木拓とは高校で同じクラスだったと公表している。
- 「既婚者であり子どもがいる」とネットで噂されているが、否定している。[出典2]
- 生まれて初めて買ったCDは東京スカパラダイスオーケストラの『スカパラ登場』。
- 吹奏楽部を通じて楽器や音楽も好きになり、楽器を見るためパリへ一人旅へ出かけたことがある。[出典3]
- 漫画家・水木しげるの葬儀へ参列した際は、黒色のハコフグ帽を被っており、注目を集めた。[出典8]
- 2016年には、スカバンド「東京スカパラダイスオーケストラ」のツアーに参加し、バスサックスを披露した。[出典9]
魚の豊富な知識と経験に裏付けされた話や、そのキャラクターでテレビにも多数出演し、幼児からお茶の間まで大人気。子供たちを中心に魚 や海・自然への興味を引き出し、漁業魚食と環境保全への理解が増すようにカリキュラムを組み、全国規模で講演を行う。2010年、絶滅していると思われて いた「クニマス」の発見に貢献。東京海洋大学客員准教授、環境省 地球いきもの応援団・生物多様性リーダー、文部科学省日本ユネスコ国内委員会広報大使、農林水産省お魚大使、WWFジャパン親善大使顧問。
出典:タレントデータバンク