2018年4月13日更新
アヴリル・ラヴィーン(あゔりる・らゔぃーん)は日本で活動するシンガーソングライター。1984年8月27日生まれ。カナダオンタリオ州出身。
どんな人?
- アヴリル・ラヴィーンは、17歳でデビューアルバム『レット・ゴー』を発表したシンガーソングライター。「スケーター・ボーイ」等のヒット曲が生まれ、同アルバムは世界的大ヒットを記録した。
- 全米1位シングル「ガールフレンド」は、日本でダウンロード300万を突破する空前の大ヒットに。サードアルバム『ベスト・ダム・シング』のアルバムセールスは120万枚を突破した。
- 音楽活動と並行し、自身のファッションブランド「Abbey Dawn」の展開や、障害や病気をもつ子ども達のためのチャリティ基金「アヴリル・ラヴィーン基金」での活動も精力的に行っている。
生い立ち
カナダ出身
カナダのオンタリオ州にある人口5000人ほどの小さな町で生まれた。
「アヴリル」とはフランス語で「4月」という意味。
フランス人の父がこの名前を付けたそうだが、名前の由来については不明とされている。
家族は父とカナダ人の母と兄と妹の5人家族。[出典1]
昔はスポーツ少女?
アヴリルは物心が付く前から周りからの注目を集める存在であった。
小学校に上がってからも奇行が多かったというほどではないにしろ、落ち着きのない子供だったという。
歌を歌うことも好きだったがそれ以上にスポーツに夢中で、女の子よりもむしろ男の子と遊ぶ機会のほうが多かったとか。[出典1]
シンガー活動
誰しもが注目する才能
初めてギターを手にしたのは12歳の頃。
様々なレコード会社やマネージメント事務所に送りつづけているうちに、大手マネージメント=ネットワークとソングライターとしてのデモ契約を交わし、ライターとしての活動を始めた。
2000年には、アリスタ・レコードのリード社長が、アヴリルのパフォーマンスと天才的なソングライティングの才能に惚れ込み、レコード契約を申し出たという。[出典1]
デビューアルバムで瞬く間に人気者に
2002年、17歳で発表したデビューアルバム『レット・ゴー』からのファースト・シングル「コンプリケイテッド」は、リリースされるやいなや世界中で大ヒット。
さらに「スケーター・ボーイ」等のヒットがうまれ、アルバムは世界的大ヒットを記録した。[出典2]
同作は1500万枚以上の売り上げを記録し、アヴリルがコンサートを開けば即日ソールドアウト。
「コンサートに行きたいのにチケットがとれない!」という声が相次いだ。[出典1]
その後も次々にヒット曲をリリース
2004年、セカンドアルバム『アンダー・マイ・スキン』を発表。
「ドント・テル・ミー」「マイ・ハッピー・エンディング」のシングルヒットによりアルバムは全米チャート初登場1位、日本でもアルバムセールスは200万という驚異的な数字を叩き出した。
2007年4月、サードアルバム『ベスト・ダム・シング』を発表。
全米1位シングル「ガールフレンド」は日本でダウンロード300万を突破する空前の大ヒットに。
サードアルバムは米英含め15カ国で1位、日本でもオリコン総合ランキング1位。
アルバムセールスは120万枚を突破し、デビュー以来3枚連続ミリオン達成という快挙を達成。日本の洋楽史上、いまだその記録は破られていないという。
2012年には、大ヒット映画『ワンピース フィルム ゼット』のW主題歌「バッド・レピュテーション」、「ハウ・ユー・リマインド・ミー」を歌い、大きな注目を集めた。[出典2]
その他の活動
ファッションブランドを設立
アヴリルは現在、音楽活動と並行し、自身のファッションブランド「Abbey Dawn」を展開。[出典2]
アヴリル自身が「自分が着たい!こんなデザインの服にしたい!」と思い、立ち上げられたライフスタイルブランドである。[出典3]
▼自身のインスタグラムでも紹介
▼可愛いスカルのロゴが印象的
アヴリル・ラヴィーン基金
また、アヴリルは障害や病気をもつ子ども達のためのチャリティ基金「アヴリル・ラヴィーン基金」での活動も精力的に行っている。[出典2]