2016年4月10日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- タカは、タカアンドトシのボケ担当。中学時代にお笑いを志していたタカが、同級生のトシを誘いコンビ結成に至った。
- 以前は通称「タカライオン」と呼ばれる、ライオンのプリントがされたトレーナーやシャツを着てテレビ出演していたが最近は減った。
- 2005年頃、タカのボケにトシが「○○か!」とツッコミを入れる芸風で受け、一躍人気を集めた。
芸能活動
芸歴
中学の同級生同士でコンビ結成
タカが中学2年生のとき、トシがタカの学校に転校し二人は出会う。
当時のタカはヒロタくんという男の子と「アンバランス」というコンビを組む学校の人気者だったという。[出典1]
その後タカがトシに声をかけ、2人でお笑いコンビを結成する。
デビュー前、オーディション番組で酷評されて・・・。
2012年4月11日放送『タカトシの時間ですよ!』(TBS系)にて、デビュー前の高校3年生のタカアンドトシの様子のVTRが公開された。[出典10]
VTRは1994年5月に放送されたお笑いオーディション番組『よしもとのもと』に出演しているときの様子で、当時タカアンドトシの2人は高校3年生だった。
披露した漫才に対して審査員から「元気がない」「新しい切り口でやってくれると思ったのに(期待はずれだ)」などと評価され、2人はぼんやり下を向き、ふてくされたような態度で聞いているというVTRだった。
このVTRを見たさまぁ~ずは「生意気!」「サブロー師匠がこんなに言ってるのに!」と笑った。本人たちはふてくされたような素振りについて「感情のやり場に困って・・・」とコメントしている。[出典10]
札幌吉本の一期生に
高校卒業後、札幌吉本の一期生として北海道で活動。しかし地元の番組には出るものの他の仕事が入ってくることもなく、後輩に追い抜かれるなど挫折を経験する。[出典1]
2002年に東京進出
結成8年目の2002年、2人が25歳の時に「これでダメだったらもう諦める」という気持ちで上京。[出典1]
同じ頃、次長課長なども大阪から上京し、売れない時代を共に過ごした。
お笑いコンテストで快進撃を続ける
上京から2年後の2004年、M-1グランプリで4位に入賞。
また2005年、爆笑オンエアバトルのチャンピオン大会で優勝。この頃から「○○か!」のツッコミが人気を博し、テレビ出演が増えるようになる。
冠番組を持ち人気芸人の仲間入り
『タカアンドトシの音楽魂か!』(東海テレビ)、『タカアンドトシのどぉーだ!』(北海道文化放送)など冠番組を持つようになる。
また、2010年にはタカアンドトシがMCを務める『もしものシミュレーションバラエティ お試しかっ!』(テレビ朝日系)がゴールデンタイムに進出する。
芸風
初期(結成当時)はしゃべくり漫才
コンビを結成した中学生当時は、ごく普通のしゃべくり漫才であったが、お笑いのオーディションなどに出ても結果は振るわなかったことを語っている。[出典10]
「○○か!」ネタで大ブレイク
2005年頃から、タカのボケに対し、トシが連続で「○○か!」と突っ込みながらタカの頭を叩くという通称「○○か!漫才」が定着しブレイクするきっかけとなる。
特に「欧米か!」というネタは大流行し、2007年の流行語大賞にも選出されている。[出典12]
▼「○○か!」の畳み掛け漫才
▼「特殊か!」
本当のようなウソの話
タカがつくウソもネタとして定着してきている。
聞いているとギリギリ信じてしまいそうになるような話で、トシが指摘するまで真に受ける共演者もいる。
例えば
「去年生まれたウチの子は4ヶ月で喋った。病院を退院するとき『お世話になりました』と言った」
というようなネタである。
俺だ!俺だ!俺だ!
2011年頃から、両手の親指で自分を指さし「俺だ!俺だ!俺だ!」と叫ぶ暴走気味のギャグを使うことも増えた。
このギャグにまつわるエピソードとして、ロンドンオリンピックで日本代表選手がパフォーマンス披露したことが挙げられる。[出典2]
2012年6月末、サッカー日本代表のDF吉田麻也は、タカアンドトシが進行役を務める『月刊サッカーアース』(日本テレビ系)の収録で「(ロンドン)五輪でゴールを決めたら“俺だ!!俺だ!!…”をやります」と誓っていた。
そしてその後8月4日の準々決勝「日本―エジプト戦」で2点目を決めた吉田選手が、約束通り「俺だ!!俺だ!!俺だ!!」と親指を立てるパフォーマンスを世界中が注目する中で披露した。 [出典2]