2016年6月28日更新
出典:タレントデータバンク
チャック・ウィルソン(ちゃっく・うぃるそん)は日本で活動するスポーツインストラクター、タレント、俳優。1946年10月26日生まれ。アメリカ合衆国マサチューセッツ州ボストン出身。本名チャールズ・ケント・ウィルソン。ショーン・ハラダに所属する。O型である。
どんな人?
- チャック・ウィルソンは1970年に同志社大学に柔道留学で来日。1973年から「クラーク・ハッチ健康管理センター」の共同経営者として活躍し、日本にエアロビクスを紹介した。
- タレントとしてクイズ番組『世界まるごとHOWマッチ』(毎日放送系)にレギュラー解答者として出演。
- 1987年より「チャックウィルソンエンタープライズ (C.W.E.) 」を経営し、全国のフィットネスセンターの指導や生活習慣病予防施設の普及に努めている。
生い立ち
1946年、米国マサチューセッツ州に生まれる。[出典1]
1966年にボストン大学に入学し、リハビリテーションを専攻する。1970年に来日し、同志社大学柔道部の客員部員となった。[出典1]
1971年、73年、75年には全日本パワーリフティングにオープン参加し、チャンピオンとなる。この時のベンチプレス200kgの日本記録は、8年間保持されていた。[出典1]
1973年よりクラークハッチ体育センターの共同経営者として活動を始めた。[出典1]
1976年には全米柔道選手権95kg以下で、2位となった。また、1976年と1980年の全米オリンピック候補選手に選出された。[出典1]
1978年には日本にエアロビクスを紹介した。[出典1]
芸能活動
1983年から日本のテレビやラジオに出演し、有名になった。[出典2]
現在は、健康やフィットネスに関する講演を日本全国で年間数十回開催しているとのこと。[出典2]
テレビ番組への出演
チャック・ウィルソンは、過去に多数のテレビ番組に出演していた。主な出演番組としては
- 『DON!』(日本テレビ系)
- 『世界まるごとHOWマッチ』(TBS系)
- 『爆報!THEフライデー』(TBS系)
- 『クイズ☆タレント名鑑』(TBS系)
- 『オールスター感謝祭(相撲コーナー)』(TBS系)
- 『夜盗』(TBS系)
- 『特命!刑事どん亀』(TBS系)
- 『田舎に泊まろう』(テレビ東京系)
- 『シブスタ』(テレビ東京系)
- 『浅草橋ヤング洋品店』(テレビ東京系)
- 『花王名人劇場/外人宿のおカミさんシリーズ』(フジテレビ系)
- 『鶴瓶&ロンブーのお笑い!ゆく年くる年』(テレビ朝日系)
- 『ペット相談』(NHKBS2)
が挙げられる。[出典1]
映画への出演
チャック・ウィルソンは、日本映画にも多数出演している。出演した作品は
- 『カポネ大いに泣く』
- 『ゴジラVSキングギドラ』
- 『カルロス』
である。[出典1]
著書
フィットネス関係の本を多数出版している。出版年の古い順に
- 『トレーニングバイブル』
- 『シェイプアップバイブル』
- 『キミも自分の人生やれよ!』
- 『健康と体力アップへの(秘)カルテ』
- 『健康づくりトラの巻/フィットネス入門』
- 『仕事をしながら人生を変える!超転身法』
が挙げられる。[出典1]
講演
チャック・ウィルソンの講演テーマとして、
- 『老化防止~第二の人生を積極的に生きるために~』
- 『予防医学と運動の役割』
- 『ビジネスマンのための健康サバイバル術』
- 『ストレスと運動について~心の健康と運動~』
- 『ストレスと生活習慣病』
が挙げられている。[出典1]公式サイトによると、これらの講演のコンセプトは
経済的に厳しい時期である現在、積極的になれず、落ち込んだりストレスを感じたりするビジネスマンのかたも多いと思いますが、 心身の健康には前向きな気持ちが不可欠です。こんな時期だからこそ、悪循環を断ち、心と体を健やかに、生き抜くサバイバル術を、 簡単な運動を取り入れたリラックス方法なども交えながら、お話しいたします。
年を取るのは誰でもありがたくないことです。出来るだけゆっくりと、健康と体力を守りながら、病気を予防して、 生活のペースをととのえて、人生をコントロールしていくことを考えて行きましょう。
「食事と医療だけでは健康を保てない!運動も大切だ」わかっていても実践は難しい・・。
フィットネスインストラクターであるチャック・ウィルソンが中高年に適した安全な運動、健康づくりについてわかりやすくお話します。
であるとのこと。[出典1]
出典
1966年、ボストン大学に入学し、リハビリテーション専攻。1970年来日、同志社大学柔道部の客員部員となる。1971年、73年、75年に 全日本パワーリフティングでオープン参加にてチャンピオンとなる。この時のベンチプレス200kgの日本記録を8年間保持。1973年からクラークハッチ体育センターの共同経営者となる。1976年、全米柔道選手権95kg以下2位。76年と80年の全米オリンピック候補選手となる。1978年には日本にエアロビクスを紹介。1982年、関東相撲大会敢闘賞を受賞。1982年~1989年のうち5回ホノルルマラソンに参加し完走。1990年6月、全日本パワーリフティング110kg級優勝。現在、新宿のヒロオカクリニック運動療法室内で健康カウンセリングセンターを主催し、自ら個別指導に従事する傍ら、キャピトル東急ホテルフィットネスセンター、東京アメリカンクラブなどでパーソナルトレーニングを実施。また、牛久のスポーツリラックス、宮崎の21フィットネスクラブでも運動療法からスポーツ選手のコンディショニングまで幅広く指導に携わり、メディカルフィットネスを中心とした生活習慣病の予防、改善の為の運動療法施設を広めるため、講演や企画などにも取り組んでいる。また、障がいのある子供たちを支援するとともに、障がいへの社会的な理解と関心を高めることを目的とした駅伝大会"チャリティラン"を提唱。1987年からYMCA国際賛助会の主催により東京で開催、現在では全国17か所のYMCAで5000人以上のランナーが参加する大会になっている。
出典:タレントデータバンク