2016年7月6日更新
どんな人?
- ポール牧はタレント、コメディアンである。元僧侶。僧名は熈林一道(きりんいちどう)であった。出身校は北海道天塩高等学校。
- 1968年に関武志と「コント・ラッキー7」を結成。独特の動きで指を鳴らす「指パッチン」芸で一世を風靡した。
- 2005年4月22日、西新宿のマンションの10階から飛び降り、自らの命を絶った。63歳であった。
生い立ち
北海道、曹洞宗の寺院の子に生まれる
ポール牧は1941年8月2日、北海道天塩郡天塩町に生まれる。本名は榛澤一道(はんざわ かずみち)。実家は曹洞宗寺院である。
1951年、10歳で得度したが1958年には還俗して上京。[出典1]
※得度…仏門に入り僧になること。出家すること[出典2]
※還俗…僧侶が在俗者・俗人に戻ること[出典3]
芸能活動
「ラッキー7」結成。指パッチン芸で一躍人気者に
喜劇役者を目指して上京したポール牧は様々な下積みを経て牧野周一の門下生として舞台デビューを果たす。
その後も榎本健一、放送作家のはかま満緒のもとで芸を磨き、1968年に関武志とコント「ラッキー7」を結成。リズムよく音を鳴らす指パッチン芸とコントで一躍人気者となった。[出典4]
『ビートたけしのお笑いウルトラクイズ』(日本テレビ系)では指パッチンを100回鳴らすのに何秒かかるかに挑戦し、36.2秒という記録を残した。
「東京新喜劇」を結成するも失敗。2000万円もの借金を抱える
1979年にスローガン「東京に喜劇の灯を」を掲げ、私財を投じて「東京新喜劇」を結成した。
しかし、軌道に乗ることができず、当時の金額で2000万円もの借金を抱え、1983年に睡眠薬投与による自殺未遂騒動を起こした。[出典4]
私生活
兄の死去をきっかけに再び得度
1996年、兄の死去をきっかけに静岡県袋井市の萬松山可睡斎にて再び得度。2002年には茨城県鹿嶋市に司友山一道寺を建て、そこで住職に就任するも、その3年後、2004年には再び還俗し、俗人に戻った。[出典4]
西新宿で自らの命を絶つ
2005年4月22日、東京都西新宿のマンションから飛び降り。自らの命を絶った。
遺書はなく、詳しい自殺の動機などは不明である。
金銭面で困っていた?
親交が深かったという女優の浅香光代は、ポールが自殺する数日前、
付き人でいいから仕事をさせて。金の苦労をするのは嫌だ。舞台に出させてほしい。
と懇願されたことを明かしている。[出典4]