2016年7月30日更新
レブロン・ジェームズ(れぶろん・じぇーむず)は日本で活動するバスケットボール選手。1984年12月30日生まれ。アメリカ合衆国オハイオ州出身である。
どんな人?
- レブロン・ジェームズはオハイオ州に拠点を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム「クリーブランド・キャバリアーズ」に所属するバスケットボール選手。これまでに最優秀選手に4回輝いている。
- 高校卒業後にキャバリアーズに所属した後、マイアミ・ヒートに移籍。その後、フリーエージェント期間を経て再びキャバリアーズに移籍した。
- 2016年6月19日に行われたNBAファイナルでキャバリアーズは初優勝。クリーブランドを本拠地とするプロスポーツにとって52年ぶりの優勝をもたらした。
生い立ち
1984年12月30日、オハイオ州北東部にあるアクロン・ジェネラル・メディカル・センターで生まれた。[出典1]
幼少期はベッドルームの壁に、敬意を込めてコービー・ブライアントの写真を飾っていたという。高校時代はブライアントに影響を受けてアフロヘアにしていた。[出典2]
選手活動
戦歴
高校生のときにはすでに全米のファンに知られる存在に。
高校卒業後は大学に進学せずプロ入り、18歳の若さでジェームズの故郷であるオハイオ州に拠点を置く全米プロバスケットボール協会(NBA)のチーム「クリーブランド・キャバリアーズ」から全体1位指名を受けた。
プロ入り前の期待そのまま順調に成長したジェームズは2009年、2010年に2年連続シーズンMVPを獲得。
NBAのスーパースターとなるが、キャバリアーズがファイナルを制することはなかった。
タイトルを切望するジェームズは、フリーエージェントになった2010年、フロリダ州マイアミに拠点を置くチーム「マイアミ・ヒート」に移籍。地元の英雄は一転して裏切り者と呼ばれ、彼のユニフォームを燃やすファンも出現したという。
ヒートに移籍したジェームズは、2012年・2013年のファイナルを連覇。
悲願の優勝を成し遂げるが、彼の心の中には常にクリーブランドへの想いがあったようだ。
初優勝後のインタビューでは、
クリーブランドで優勝できたらどれだけ素晴らしいか
と話している。[出典1]
故郷へ帰還
マイアミ・ヒートから再度フリーエージェントとなっていたジェームズは、2014年7月11日、来季から再び故郷のチーム「クリーブランド・キャバリアーズ」でプレーすることを発表した。
レギュラーシーズン最優秀選手(MVP)に4回輝き、フリーエージェントとなった29歳のジェームズの今後の行方について、さまざまな憶測が飛び交っていたが、劇的な形で終止符が打たれると、キャバリアーズのファンは熱狂した。
クリーブランドの南にあるオハイオ州アクロンで幼少期を過ごしたジェームズは、
オハイオの北東部に与えられるもは何もない。すべて自分で勝ち取らなければならない。
努力した結果が、自分のものになる
挑戦を受け入れる準備はできているよ。地元に戻ったからね
と語った。[出典3]
SNSでも報告
ジェームズは「クリーブランド・キャバリアーズ」に帰還したことを自身のツイッターやインスタグラムでも報告。「ただいま」という一言を添えた、ユニホームを着た写真を投稿した。[出典3]
キャバリアーズの優勝
2016年6月19日に行われたNBAファイナル。
同大会でジェームズが所属する「クリーブランド・キャバリアーズ」が初優勝を成し遂げた。[出典4]
また、同試合の視聴率は中継したABCネットワークによると、史上最高の18.9%を記録したという。
試合終了後、レブロンは泣き崩れ、インタビューでは改めて今回の優勝がオハイオ州ノースイーストのためだと叫んだ。
ここへ戻ってきたときにゴールを定めた。
それはクリーブランドに優勝をもたらすこと。
僕はそれに自分のすべてをかけた。
すべてのオッズは僕らが不利だと語っていた。
難しい戦いだった。クリーブランド、この優勝はお前たちに捧げる![出典1]
また、自身のインスタグラムにはトロフィーを抱きかかえる動画を投稿。
トロフィーに愛を捧げ、「もう二度と俺から離れないでくれ」「ここまでの道のりは長かった」と語った。