どんな人?
- 京野ことみ(きょうのことみ)は、日本で活動する女優。広島県出身の1978年10月18日生まれ。パパドゥ所属。
- オーディションを経て、1992年公開の映画『七人のおたく』で女優デビュー。
- デビュー当初は数々のCMに出演し話題となった。
- 1990年代後半以降は、ドラマ『ショムニ』(フジテレビ)や『白線流し』シリーズ(フジテレビ)、『救命病棟24時 第3シリーズ』(フジテレビ)などの話題作に多く出演している。
生い立ち
京野ことみは、広島県福山市出身の1978年10月18日生まれ。現在年齢は46歳。身長163cm。[出典1][出典2]
両親と弟の4人家族であり、頑固な性格の父や祖父に似て負けず嫌いな性格をしている。
子供の頃は母や祖母に何か言われる度に楯突いていたそうだが、家の外では店員に話しかけるのすらできない内弁慶だったという。[出典3]
芸能活動
京野ことみは、1992年公開の映画『七人のおたく』にオーディションを経て、アイドルの京野ことみ役として出演。女優デビューを果たし、実際に劇中歌で歌手デビューの果たしている。
その後、俳優・田村正和と共に出演した森永乳業の「クリープ」CMで注目を浴びた。
以降、数々のドラマや映画に出演し、1996年放送のドラマ『白線流し』(フジテレビ)に出演。高校生たちの青春群像劇が描かれた本作で、京野は主役の1人を演じている。
同作は2005年に完結編が放送されるまで、スペシャルドラマなどが5作品制作されるなど人気のシリーズとなった。また、京野の代表作であり、当たり役としても有名。
また、1998年放送のドラマ『ショムニ』(フジテレビ)に出演した際は、コメディ要素を上手く演じ上げ演技の幅を広げている。[出典2]
芸能活動を止めなかった父
京野ことみは、14歳の時に芸能界デビューを果たしている。
芸能界での活動を決めた京野に父は、「自分で決めたことならやればいい。今後は全て自分の責任になるが、やると決めたなら最後までやれ。簡単には帰って来られない」と言葉をかけたという。
当時の京野は、父の言葉の意味が分からないでいた。しかし、ドラマ『白線流し』(フジテレビ)に出演していた18歳の頃、ようやく父の言葉の意味が理解できたという。
故郷の広島に帰りたくて、お金もないのに東京駅へ行ったことがあります。私が知らない人が、私を知っている。最初はうれしかったけど、次第に現実が見えてきて、怖くなってきたんです。[出典3]
そう感じた京野は、両親に心配をかけまいと母に対し現場での失敗を明るく報告していたそうだが、父には真意が伝わっていたそうで、「帰って来ていい」と言われたという。
結局京野は実家に帰ることなく、芸能活動を続けて行ったが、しばらくして父が会社の異動で東京勤務に。弟も東京へ就職し、父が家族に内緒で都内に自宅を購入し、渋る母を東京へ呼び寄せたという。[出典3]
出演作品(映画・ドラマ)
大ヒットを記録したドラマ『ショムニ』
京野ことみは、1998年放送開始のドラマ『ショムニ』(フジテレビ)に出演。主演は江角マキコ。
本作は、“女子社員の墓場”と呼ばれる庶務二課で働くOLの活躍を描くドラマ。営業三課に配属された新入社員の佐和子は、ある日身に覚えのない社内不倫を理由に、庶務二課へ転属させられる。そこでは、個性豊かなOLたちが働いていて…。
京野は本作で、平凡なOL・佐和子を演じている。
また、本作は第1話から高視聴率を記録し、放送終了後にはいくつものスペシャルドラマを放送。さらに映画化もなされている。[出典2][出典4][出典5]
結婚
京野ことみは2008年5月24日、1歳年上の一般男性と結婚。
出会いの場は仕事場だったそうで、
友人というよりは、助っ人的な存在になっていく彼に、居心地のよさと頼もしさを感じていきました。[出典6]
と語っている。[出典6]
ショムニ会からのお祝い
京野ことみが出演していたドラマ『ショムニ』(フジテレビ)は、放送終了後も出演者やスタッフが集まる「ショムニ会」を開催している。