どんな人?
- 入川保則は、兵庫県出身の俳優。17歳で俳優デビューし、以降、ドラマ『水戸黄門』(TBS系)、『銭形平次』(フジテレビ系)などの作品で名脇役として活躍。自らの人生を歌にした「脇役」で歌手デビューをした。
- 2010年7月に直腸がんが見つかり、2011年12月に息を引き取った。遺作となった映画『ビターコーヒーライフ』では、主役の末期がんを患う喫茶店マスター役を演じた。
- 3度の離婚歴があり、前々妻との間に娘が2人、前妻で2004年に離婚した元女優ホーン・ユキとの間に息子が3人いる。
芸能活動
芸歴
17歳で俳優デビュー。
テレビドラマ『水戸黄門』(TBS系)、『銭形平次』(フジテレビ系)、などの作品で名脇役として活躍。2011年6月には、自らの人生を歌にした「脇役」で歌手デビューをした。[出典1]
入川は自身の俳優人生について、
30代で酒、40代で女に溺れ、60代でやっと花開いた。僕の役者としてのピークは65、66、67歳の3年間。70代になってカタンと落ちた
と語っている。
また、がんと共生しながら、死の準備を進める自身の日常を綴った著書『その時は、笑ってさよなら』、『自主葬のすすめ』を立て続けに出版し、大反響を呼んだ。[出典2]
映画『ビターコーヒーライフ』
映画『ビターコーヒーライフ』で入川は、元警視庁捜査1課刑事で末期がんを患う喫茶店マスター役を主演。結果、同作は入川の遺作となったが、[出典3]入川自身も撮影中、
この映画で私の人生の幕となると考えています。撮影があと数日残っています。私が倒れたらドキュメンタリーにしてと監督にお願いしました
と語っていたという。[出典4]
私生活
結婚・家族
3度の離婚歴があり、前々妻との間に娘が2人、
前妻で2004年に離婚した元女優ホーン・ユキとの間に息子が3人いる。[出典1]
趣味
映画を見るのが大好きだった。
第二次大戦後のウィーンを舞台にした映画『第三の男』は80回見たという。入川曰く、同作は
主人公の端々の“くすぐり”が多い。脇に凝った作品は名作が多いんですよ
とのこと。[出典2]
直腸がんの発症
2010年7月、舞台公演で沖縄を訪れた際に脱腸となり、検査で肛門から10センチのところに腫瘍が見つかった。切除手術を受けたものの、がんは全身に転移。2011年3月に会見を開いて、末期がんで余命半年であることを明らかにした。[出典1]
抗がん剤治療をすれば、命は多少長らえるかもしれなかったが、
それをやると副作用で動けなくなり、役者生命が断たれる。
そのため入川は治療を断り、役者として余命を使い切るという選択をした。
入川は、
僕はもういい。人生の幕が来たんだ。役者として死なせてほしい。[出典5]延命治療で5年生きるより、元気な5カ月を選びます。[出典2]
と語っていたという。
最初に医師から告げられたタイムリミットは2011年8月だったが、それよりも4ヵ月近く長く生き、[出典5]同年12月24日、直腸がんのため神奈川県厚木市の病院で死去した。[出典1]
所属事務所によると、前妻ホーン・ユキとの間の長男、正則さんが入川の最期を看取った。
病室から帰宅する際「帰るよ」と呼びかけたとき、力なく答えた「ありがとう…」が、最期の言葉だったという。[出典6]
性格
延命治療をしないという選択をした父について息子の正則さんは、
一度決めたことを曲げる人間ではない。最後まで自分で決断する人でした
と語り、所属事務所の井内徳次社長は
謙虚で眼光が鋭く、ほんとに強い方でしたね。私も役者としてではなく、人として勉強させてもらいました。誰でもそうですけど、人間は生まれてきたら亡くなる時期がくる。亡くなるまでのステージをどう歩いていくか、どう生きていくかということを彼の最後の言動、活動の中でみせてもらった
と語っている。[出典7]