どんな人?
- 加賀まりこ(かがまりこ)は、日本の役者。東京都出身の1943年12月11日生まれ。
- 父は大映のプロデューサーだった加賀四郎。
- スカウトをきっかけに、1960年放送のドラマ『東京タワーは知っている』(フジテレビ)で役者デビューした。
- 以降は映画を中心に役者として活動し、1960年代中盤からは舞台作品にも出演。
- 1981年の映画『泥の河』では、キネマ旬報助演女優賞を受賞した。
▼加賀まりこ(中央)
生い立ち
加賀まりこは、東京都出身の1943年12月11日生まれ。現在年齢は80歳。
父は大映のプロデューサーだった加賀四郎。
高校時代からは六本木界隈で遊ぶようになり、「六本木族」の元祖的存在でもある。[出典1]
芸能活動
加賀まりこは、明星学園高校在学中だった15歳の時に週刊誌の表紙を飾り、これをきっかけにスカウトを受け芸能界入り。
1960年放送のドラマ『東京タワーは知っている』(フジテレビ)で役者デビューした。
1962年公開の映画『涙を、獅子のたて髪に』でスクリーンデビューし、以降映画を中心に活動。
松竹と契約を結び同社の映画に出演し、1964年には他社作品である映画『乾いた花』にも出演した。
1964年4月から約3ヶ月間はパリへ遊学し、翌年6月には劇団四季公演の舞台『オンディーヌ』で舞台デビュー。
同作は再演されるほどの人気を集め、翌年の約1年間は劇団四季の正式な劇団員としても活動した。
以降は再び映画を中心に活動し、1980年の映画『夕暮まで』ではブルーリボン賞助演女優賞を、翌年公開の映画に多数出演しキネマ旬報賞助演女優賞を受賞している。
役者業のほか、1990年からは音楽番組『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ)に司会として出演。
また、ドラマ『花より男子』(TBS)や『拝啓、父上様』(日本テレビ)、『やすらぎの刻〜道』(テレビ朝日)など多くのドラマにも出演している。[出典1][出典2][出典3]
人物
- 私生活では、1972年2月に未婚のまま出産するが、誕生後7時間で子供は亡くなっている。
- 1973年には睡眠薬を過剰摂取してしまい、意識不明となった。
- 1974年2月には、ディレクターとして働く男性と結婚するも、1980年3月に離婚している。[出典1]
- 「率直にしか生きられない」と語っており、強気で歯に衣着せぬ発言が多く尖ったキャラクターでもある。[出典4]
- 6歳年下の演出家・清弘誠と59歳の頃から事実婚状態が続いている。
- 家族仲がよかったため、実家を出て一人暮らしをしてもつまらないと感じていた。
- 神楽坂の実家を建て直し、兄夫婦と二世帯生活を送っている。
- 事務所に所属していた時から、出演作品の選択やギャラの交渉などを自分で行っていた。[出典5]