2016年8月3日更新
どんな人?
- 南野拓実は、大阪府泉南郡熊取町出身のサッカー選手。ゼッセル熊取、セレッソ大阪を経て現在は、オーストリアのクラブ「レッドブル・ザルツブルク」に所属する。
- 中学1年生の時にセレッソ大阪U-15に入団し、高校卒業後はセレッソ大阪U-18へと昇格。クラブ史上初となる高卒新人開幕スタメン入りを果たした。
- リオデジャネイロ五輪代表メンバー18人の内の1人に選出されている。
生い立ち
「自分で開拓して実る」子に
阪神大震災の起きる前日の1995年1月16日、大阪府泉南郡熊取町で南野は生まれた。
拓実という名前の由来は「自分で開拓して実る」という意味から。
南野は、自身の名前に込めた両親の思いを幼少期に聞かされ「名前負けせえへんようにしないといかん」と思ったという。[出典1]
活発な幼少時代
南野には3つ上の兄がいる。幼少期の南野は、兄の後をついて回る活発な子どもだったそうだ。
兄貴とはよくケンカしていました。
兄貴と友達が遊んでいるところに僕がついて行こうとすると、「来るなよ」と言われて、それに反発する感じですね。
でも結局はついていくことになっていました(笑)
と当時を振り返る。[出典1]
選手活動
戦歴
通っていた熊取町のフレンド幼稚園で本格的にサッカーを始め、同幼稚園を母体としたゼッセル熊取に所属。[出典1]
中学1年生の時にセレッソ大阪U-15に入団し、2012年に2種登録からJリーグデビュー。
2013年にはJリーグのベストヤングプレーヤーに選出され、2014年シーズンはJ1で30試合に出場して2得点を記録している。
リオデジャネイロ・オリンピックを目指すU-22日本代表でも中核を担い、2014年4月には日本代表候補に選出。[出典2]
高校卒業後はセレッソ大阪U-18へと昇格し、クラブ史上初となる高卒新人開幕スタメン入りを果たした。[出典3]
レッドブル・ザルツブルクへの移籍
2014・15年シーズンのセレッソ大阪は、ディエゴ・フォルランやカカウなどトップレベルの選手を
獲得したものの不調に終わり、J2降格が決定。
その際に、長年南野の獲得を目指していたオーストリアのクラブ「レッドブル・ザルツブルク」に南野はスカウトされ、2015年2月2日付けで完全移籍をした。[出典4]
南野がセレッソ大阪の公式サイトに残したコメントは以下のとおりである。
中学時代からお世話になり、プロサッカー選手になることができたのはセレッソ大阪のおかげです。
そのチームが降格してしまったタイミングで移籍してもよいのか、本当に毎日悩みました。
ただ、ヨーロッパでプレーするチャンスは何度もくるものではないと思いましたし、選手としてよりレベルアップすることができる環境はどこかを考えた末に、ザルツブルクに移籍することを決めました。
セレッソ大阪のチームメイト、スタッフ、いつも支えてくださったサポーター、スポンサー、ハナサカクラブの支援者の皆様など、全ての関係者の方々に心から感謝しています。
ヨーロッパの舞台で成長して、将来またセレッソに貢献出来るような選手になりたいと思います。
少しでも応援していただければ嬉しいです。本当にありがとうございました。[出典5]
リオ五輪代表メンバーに選出
2016年7月1日に、日本サッカー協会(JFA)がリオデジャネイロ五輪代表メンバー18人を発表し、南野も選出された。代表に選出されたことについて南野は以下のように語っている。
国の代表に選ばれるのは、本当に光栄な事です。
オリンピックは短期決戦で試合間隔が短くて移動距離も長いと聞いていますので、まずは、初戦に集中して行きたいと思っています。
波に乗れれば、このチームは前回大会を上回る結果を残せると思っているので、個の集まったチームで戦ってきます。
リオ五輪本大会でB組に入っている日本は、2016年8月5日にナイジェリア、8日にコロンビア、11日にスウェーデンと対戦する。[出典6]