2022年2月3日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
プロフィール
芸名 / 読み | 古田 新太 / ふるた あらた |
誕生日 | 12月3日 |
出身地 | 兵庫県 |
身長 / 体重 / 血液型 | 173.0cm / 70.0kg / O型 |
星座 / 干支 | いて座 / 巳年 |
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▼古田新太(左)
生い立ち
古田新太は、兵庫県出身の1965年12月3日生まれ。
現在年齢は、59歳。キューブ所属。[出典1]
父親の名前を芸名に
古田新太の父親の名前は「古田新(あらた)」。
古田新太という芸名は、父親の名前からつけたという。
当初は漢字も同じだったが、所属していた「劇団☆新感線」の座長が公演のチラシに誤って「新太」と表記したことがきっかけで、現在の芸名になった。
父親は182cmと身長が高く、大阪ガスに勤務。
寡黙で怖く、仕事から帰宅すると黙って酒を飲むような人だったという。
また、高校でやり投げをしていたことから力も強く、古田新太や弟は悪さをすると2階から投げ落とされていた。[出典13]
芸能活動
1984年に「劇団☆新感線」へ参加
古田新太は、大阪芸術大学の舞台芸術学科ミュージカルコースに在学中の1984年、「劇団☆新感線」の舞台『宇宙防衛軍ヒデマロ』に出演。
以降も同劇団の公演に出演し続けるうちに、いつのまにか劇団員として扱われ、看板役者となっていた。
また、同劇団での活動のかたわら、大阪の深夜番組に多数出演。同年代を中心に人気を集めた。
その後、雑誌で連載を持ったり、ラジオ番組『古田新太のオールナイトニッポン』(ニッポン放送)のパーソナリティを務めたりと、数多くのメディアで活躍。
1998年には舞台『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』、『キル』、『愛の乞食』に出演し、「第5回 読売新聞演劇大賞」の優秀賞を受賞している。[出典1]
2002年放送のドラマ『木更津キャッツアイ』でブレイク
古田新太は、これまでに数多くの映画・ドラマ・舞台に出演している。[出典1]
ブレイクのきっかけとなったのは、2002年放送のドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS)への出演。
同作で古田新太は、アルコール中毒のホームレス・オジー役を演じた。[出典3]
また、同役をきっかけに、同作の脚本家・宮藤官九郎の作品に数多く出演。
2000年放送のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS)、2005年放送のドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS)などに出演している。[出典1][出典4]
その後、2008年公開の映画『小森生活向上クラブ』で映画初主演を果たす。[出典2]
以降も、2013年放送の朝の連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)、2019年放送の主演ドラマ『俺のスカート、どこ行った?』(日本テレビ)などの人気作品に出演。
2020年には、ドラマ『半沢直樹(2020年版)』(TBS)に出演している。[出典1]
大学の先輩に誘われ、劇団☆新感線公演『宇宙防衛軍ヒデマロ』に出演。以来、次々と劇団☆新感線の公演に出演し、いつのまにか劇団員、しかも看板役者となり、観客動員数を増やし続ける。劇団での活動と並行して、読売テレビ「現代用語の基礎体力」を始めとする深夜バラエティ番組に 次々に出演し、大学生を中心に人気が爆発。その後、テレビ「ヤマタノオロチ2」の司会や、ラジオ「オールナイト・ニッポン」など多くのレギュラー番組や雑誌の連載を持ち、関西のみならず全 国的に若者のオピニオン・リーダー的存在となった。 外部の舞台への出演にも積極的で、テレビ、ラジオ、舞台、と活躍中である。
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