2020年8月24日更新
どんな人?
- 宮藤官九郎(くどうかんくろう)は、日本で活動する脚本家・役者・ミュージシャン・アーティスト・映画監督。宮城県出身の1970年7月19日生まれ。大人計画所属。
- 1991年に、松尾スズキ主宰の劇団「大人計画」に入団。
- 2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS)の脚本を担当し、大きな注目を浴びた。以降、ドラマや映画など様々な作品の脚本を手がけ、2013年放送の連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)で初の連続テレビ小説の脚本を担当している。
- 役者としても活躍しており、2010年公開の映画『ゲゲゲの女房(映画)』やドラマ『カルテット(2017年ドラマ)』(TBS)などに出演している。
- 1994年に、振付師の八反田リコと結婚。女児に恵まれている。
▼宮藤官九郎
生い立ち
宮藤官九郎は、宮城県出身の1970年7月19日生まれ。
現在年齢は54歳。本名は宮藤俊一郎。大人計画所属。[出典1]
小学校5年生から中学1年生までは母親と2人暮らし
宮藤官九郎には歳の離れた姉が2人いる。
また、父親は教師・校長として勤めていた。
姉2人が進学などで家を離れ、父親が単身赴任で家を空けていた小学校5年生から中学1年生の間は母親と2人暮らしだった。
母親は全力で宮藤官九郎と向き合い、2人してプロレスで体を痛めたり、家の中でサッカーをして障子を全て破ったりしたこともあったという。
しかし、父親はそんな2人を怒らず、母親に子供と全力で遊ぶことは良いことなのでもっとやるようにと言っていた。[出典2]
学生時代は”目立ちたがり”
宮藤官九郎は、中学校に進学すると2年生の後期から2期連続で生徒会長を務めた。
また、新聞社主催の作文コンクールの県予選に2年連続で入賞するなど、文才も発揮している。
成績も上位であったが、受験を勧められた共学校ではなく地元の男子校に進学。
当時の宮藤官九郎は女の子とまともに口をきくことができず、女には懲りたと男子校への進学を決めたのだという。
進学先の高校でも目立ちたがりの性格は変わらず、文化祭では”宮藤の時間”と称して自作のコントを披露したり、修学旅行では頭を剃り上げて踊ったりしていた。[出典2]
芸能活動
1991年に劇団「大人計画」に入団
宮藤官九郎は、1991年に松尾スズキ主宰の劇団「大人計画」に入団。[出典1]
劇団「大人計画」の舞台は毒気と不条理を含んだ笑いが特徴で、メンバーには阿部サダヲや荒川良々などがいる。[出典3]
また、同劇団内でパンクコントバンド「グループ魂」を結成。[出典1][出典3]
バンドで宮藤官九郎は、「暴動」名義でギターを担当。2005年には『NHK紅白歌合戦』(NHK)への出場も果たしている。[出典1][出典14]
▼劇団「大人計画」
2000年放送のドラマ『池袋ウエストゲートパーク』で注目を集める
宮藤官九郎は2000年に放送されたドラマ『池袋ウエストゲートパーク』(TBS)の脚本を担当し、大きな注目を浴びた。
また、2001年公開の映画『GO』では、「日本アカデミー賞」で最優秀脚本賞を受賞。他にも脚本を務めた2002年放送のドラマ『木更津キャッツアイ』(TBS)、2005年放送のドラマ『タイガー&ドラゴン』(TBS)などが話題となる。
1970年7月19日生まれ、宮城県出身。NHK『あまちゃん』、TBS『ごめんね青春!』、日本テレビ『ゆとりですがなにか』などで脚本を、俳優としては、映画『幼な子われらに生まれ』、TBS『カルテット』に出演するなど多方面で活躍。また、阿部サダヲや村杉蝉之介らと共に「グループ魂」を結成し、音楽活動も行う。その他の主な経歴は、NHK『大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」』、TBS『監獄のお姫さま』、WOWOW『遠藤憲一と宮藤官九郎の勉強させていただきます』、映画『謝罪の王様』『パンク侍、斬られて候』、舞台『メタルマクベス』(以上脚本)、NHK『おやすみ日本 眠いいね!』、WOWOW『コールドケース2』、映画『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』(監督・脚本)、ニッポン放送『宮藤官九郎のオールナイトニッポンGOLD』など他多数。
出典:タレントデータバンク