2024年1月17日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 荒川良々(あらかわよしよし)は、日本で活動する役者。佐賀県出身の1974年1月18日生まれ。劇団「大人計画」所属。
- 1998年に松尾スズキ主宰の劇団「大人計画」に入団し、以降舞台を中心に役者として活躍。
- 2000年頃から映像作編へも出演しており、同劇団所属の宮藤官九郎作品に多数出演している。
- 大ヒットを記録した連続テレビ小説『あまちゃん』(NHK)で朝ドラ初出演を果たし、広く知られるきっかけとなった。
- 個性派俳優であり、数々の作品に出演している名バイプレーヤーでもある。
▼荒川良々
生い立ち
荒川良々は、佐賀県出身の1974年1月18日生まれ。現在年齢は50歳である。身長183cm。大人計画所属。[出典1]
名前の読み方と本名
荒川良々は芸名であり、読み方はあらかわ・よしよし。本名は荒川良友。
また、荒川良々はかつて「荒川上手」という芸名で活動していたことがあり、こちらの読み方はあらかわ・じょうず。[出典2]
学生時代は?
荒川良々は、佐賀龍谷高校でラグビー部に所属。
県内に強い学校があったため、全国高校ラグビー大会には絶対出場できないという認識のもと活動していた。
高校卒業後は、一人暮らしがしたいという理由で福岡にある簿記の専門学校に進学。[出典3]
女にフラれてニューヨークへ
荒川良々は、専門学生時代にほとんど学校に行かず、バイト三昧の日々を過ごしていた。
貯めたお金を使って、20歳の頃に3ヶ月程度ニューヨークで生活していたことがあるという。[出典4]
その理由について尋ねられると、荒川は、
まぁ、なんでしょうね……福岡で女にフラれたりとか(笑)[出典5]
と、きっかけを明かしている。
何でも、荒川良々は村上龍の書籍や当時出回っていたヒップホップのレコードなどに影響され、ニューヨークに行きたいと考えたそう。[出典5]
そのため、村上龍にならって人と群れずに過ごしていたという。[出典4]
芸能活動
役者になるきっかけも“女”!?
荒川良々は帰国した後、佐賀には帰らずに上京。[出典5]
高校の同級生が高円寺に住んでいたことや、父親から「いつまでも福岡でぬるま湯につかるな」と発破をかけられたことが理由だと語っている。[出典3][出典5]
その後、バイト先の女性が小劇場に造詣が深かったことから、荒川良々も演劇を鑑賞したという。
そこで劇団「大人計画」のオーディション募集について知ると、荒川良々は何となしに応募し、見事入団することに。[出典5]
また、荒川良々は役者になれたことについて、
何も怖いものなかったからじゃないですか? 逆に演劇のこととか勉強してたらアレだったでしょうけど。[出典5]
と考えているそう。[出典5]
荒川良々は自身のことを、流されていたら役者になっていたことから“クラゲ”と喩えている。[出典3]
1974年1月18日生まれ、佐賀県出身の俳優。主な出演作は、NHK『連続テレビ小説「あまちゃん」』『大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」』、TBS『家族ノカタチ』『重版出来!』、テレビ朝日『リーガルV ~元弁護士・小鳥遊翔子~』、日本テレビ『先に生まれただけの僕』『サバイバル・ウェディング』、映画『福福荘の福ちゃん』『予告犯』『TOO YOUNG TO DIE!若くして死ぬ』『心が叫びたがってるんだ。』『覚悟はいいかそこの女子。』『ハード・コア』、舞台『ビニールの城』『あぶない刑事にヨロシク』『ニンゲン御破算』、CM『日本郵政グループ』『住協ホールディングス』などその他多数出演。
出典:タレントデータバンク