2019年7月12日更新
どんな人?
- 吉田日出子は高校卒業後俳優座養成所へ入所、その後女優活動を開始。文芸座を退団後、自由劇場を立ち上げた。
- 1979年上演の舞台『上海バンスキング』は15年間のロングランとなる。この他多くの作品へ出演し、「菊田一夫演劇賞」「第14回報知映画賞最優秀助演女優賞」「日本アカデミー助演女優賞」など数々の賞を受賞した。
- 高次脳機能障害を患い、2014年11月には著書『私の記憶が消えないうちに』を出版している。
芸能活動
芸歴
1979年の舞台『上海バンスキング』で女優として一躍有名となった、同作品は吉田の代表作と言える。[出典1]
受賞暦
1986年、『ドタ靴はいた青空ブギー』の滝口絵梨子・ビューティー・スカイの演技に対して第12回菊田一夫演劇賞を受け、[出典2]1989年に映画『社葬』で第14回報知映画賞最優秀助演女優賞、[出典3]日本アカデミー助演女優賞を受賞している。[出典4]
復帰作 『上海バンスキング』でのエピソード
2010年に復帰後の舞台『上海バンスキング』の稽古場ではせりふや歌詞を忘れることがあったが、共演者がフォローした。本番も吉田の役に分身役を設けるなど配慮をし、吉田はプロンプターの声が聞き取れるように特製のイヤホンをつけて演じた。[出典1]
私生活
2014年11月27日に高次脳機能障害であることを発表し、翌日発売の著書『私の記憶が消えないうちに』で詳しく明かしている。
2007年の主演舞台を降板する前からせりふが覚えられなかったり、通い慣れた道に迷ったりすることがあり、診断したところ、脳の前頭葉に傷が見つかり高次脳機能障害と判明したという。
当初、吉田は障害を隠しておこうと思っていたが、障害と付き合う中で、記憶障害も注意障害も遂行機能障害も社会的行動障害も恥ずかしいことではないと考えが変わったという。
また障害や認知症について吉田は、
恐れているばかりではつまらないでしょう。障害や認知症のある、なしで境界線を引かずに、ありのままの自分、相手を受け入れてやっていきませんか
と前向きに話している。[出典1]