2018年4月6日更新
出典:タレントデータバンク
どんな人?
- 秦基博は、シンガーソングライター。「鋼と硝子でできた声」のキャッチフレーズで知られている。
- 2006年にシングル「シンクロ」でデビューして以来、代表曲は「鱗」や「Girl」、「アイ」など数知れず。
- 大ヒット映画『STAND BY ME ドラえもん』の主題歌となった「ひまわりの約束」は、「2014年、最も愛された楽曲」として知られる。
- 2009年に一般女性と結婚し、その後は一児の父親に。
- 2017年6月には自身初となるオールタイムベスト『All Time Best ハタモトヒロ』をリリースした。
▼秦基博
https://twitter.com/hata_official/status/971582085277220864
秦基博の生い立ち
秦基博は1980年10月11日生まれ、宮崎県日南市の出身。そのため、現在の年齢は44歳である。
小学2年生の夏、秦一家は家庭の都合で横浜に引っ越して、以降は横浜で育つ。[出典1]
▼宮崎生まれの横浜育ち
https://twitter.com/hata_official/status/966268237934575616
男3人兄弟の末っ子
秦基博は2人の兄を持つ、男3人兄弟の末っ子。
兄がフォークギターを友達から格安で買ってきたことをきっかけに、秦基博は12歳の頃、兄弟3人で一斉にギターを始めた。
そのため当時は、1本のギターを3人で使い回していたそうで、弾いていない間にはハーモニーとして入ってもいたんだとか。
その環境が歌うことを凄く自然にしてくれたのかな、と今は思います[出典2]
と、秦基博は当時のことを振り返っている。[出典2]
▼1本のギターを3人兄弟で使い回した
https://twitter.com/musicjpnews_mti/status/928075880974376960
玉のような身体の幼少期
幼少期はぽっちゃりとした玉のようだった秦基博。[出典1]
そのため幼い頃、横浜に引っ越してきてすぐに付けられたあだ名は「デブゴン」だった。
なお、「いくらなんでも酷い」と苦情を訴えたところ、「燃えよ、デブゴン」と言われたそうだ。[出典2]
▼サモ・ハン・キンポーみたいな子供だった?
https://twitter.com/hata_official/status/909286595055906816
秦基博の中学〜高校生時代
リトルリーグでプレイする野球少年だった秦基博は、中学生に上がると、バスケ部に所属した。[出典1][出典3]
高校では男子校に進学。引き続きバスケ部に入ろうとするが、先輩があまりにも怖かったために入部を諦め、軽音楽部に入った。
彼はそこでコピーバンドを組んでギターとボーカルを担当しながらも、音楽は放ったらかしで、放課後には野球して遊ぶ青春時代を過ごす。
なお、その一方で秦基博は、高校時代からオリジナル楽曲の制作を本格的に開始した。[出典1]
▼軽音部ではコピーバンドで活動!
https://twitter.com/TOKYOFMworld/status/945619800096628736
ちなみに、ジョイマンの高木晋哉は、秦基博の中学時代の同級生であるという。[出典4]
▼高木晋哉(ジョイマン)
2006年『シンクロ』でデビュー。圧倒的な歌の表現力と日常を切り取った抒情豊かなソングライティングで幅広い層のファンを獲得。2010年1月リリースのシングル『アイ』がロングヒットを記録し、同年10月に発表した3rdアルバム『Documentary』はCDショップ大賞の準大賞作品にも選出された。2011年秋にはデビュー5周年を記念し、日本武道館&大阪城ホールでのライブを開催。続く翌月には自身3度目となる武道館公演を全編弾き語りで行い話題を呼ぶ。同アルバムを引っ提げ、29都市で行われた自己最大規模の全国ツアーも大盛況のうちにファイナルを迎えた。2013年10月、初のセルフセレクションアルバム『ひとみみぼれ』をリリース。収録曲『Girl』が2013年USEN年間チャート1位を獲得した。2014年、3DCGアニメ映画「STAND BY ME ドラえもん」主題歌『ひまわりの約束』がロングヒット。2014 年間 USEN HIT J-POPランキング第2位を記録。同曲の弾き語りバージョンを収録した初の弾き語りベストアルバム『evergreen』は日本レコード大賞企画賞を受賞した。
出典:タレントデータバンク