https://twitter.com/joymanjoyman/status/866280105978454017
初めての弾き語りは卒業ライブで……
秦基博が初めてオリジナル曲を他人に披露したのは、高校生最後のライブの日。
コピーバンドとして演奏していたところ、時間が余ってしまい、3〜4曲ほど弾き語りで披露したそうだ。
すると、観客にいた友達の友達から、
「自分がバイトをしてるライブハウスでアコースティックの日があるから、出てみたら?」[出典5]
と話しかけてもらい、大学に進む頃には、横浜山下町のライブハウスでオリジナル曲の弾き語りをする日常が始まった。[出典5]
▼卒業ライブがきっかけでライブハウスへ!
https://twitter.com/hata_official/status/638295494595207168
秦基博はボーリング好き
秦基博は大学生時代、「テスト前を除いて基本的に学校に通わない」という生活を4年間送った。[出典6]
そのため欠かさず視聴した『森田一義アワー 笑っていいとも!』(フジテレビ系)を網羅することに成功する。[出典6][出典7]
その一方で、この頃には、大のボーリング好きでもあった秦基博。
6ゲームのボーリングに興じ、翌日に草野球で投手を務めたところ、右腕を骨折。
その後、しばらくは左腕でボーリングを続けていた、という逸話がある。[出典6]
▼不真面目な大学生だった?
https://twitter.com/musicjpnews_mti/status/811957011273265152
大学卒業後は……
大学生のうちには美術品を運搬するアルバイトなどで日銭を稼ぎつつ、作曲し、ライブに出ていたという秦基博。
そんな彼は、じつは2004年にインディーズCDを発表したそう。しかし周りからのリアクションはほぼなく、厳しい現実を突きつけられた。
それが原因で作曲ができなくなってしまったが、これをきっかけに、秦は基本に帰ったという。[出典5]
▼インディーズCDで挫折したが……
https://twitter.com/hata_official/status/879734901439741953
自分が美しいと思うメロディーと、聴いてくれる人に伝わるシンプルな言葉を書けばいいんじゃないかと思えるようになった[出典5]
と語るように、秦基博は楽曲制作に向き合い、新しいスタートを切る。[出典5]
▼挫折から立ち直って曲作りが進化?
https://twitter.com/hata_official/status/755363640761430016
その後、彼は大学卒業を前にして「就職する」という考えはなく、音楽を生業とすることを決めていた。
すると2006年には、ライブを聴いていた事務所の人から声をかけてもらい、秦基博のデビューが決定した。[出典5]
▼2006年にデビュー!
https://twitter.com/natalie_mu/status/595417559782023171
2006年『シンクロ』でデビュー。圧倒的な歌の表現力と日常を切り取った抒情豊かなソングライティングで幅広い層のファンを獲得。2010年1月リリースのシングル『アイ』がロングヒットを記録し、同年10月に発表した3rdアルバム『Documentary』はCDショップ大賞の準大賞作品にも選出された。2011年秋にはデビュー5周年を記念し、日本武道館&大阪城ホールでのライブを開催。続く翌月には自身3度目となる武道館公演を全編弾き語りで行い話題を呼ぶ。同アルバムを引っ提げ、29都市で行われた自己最大規模の全国ツアーも大盛況のうちにファイナルを迎えた。2013年10月、初のセルフセレクションアルバム『ひとみみぼれ』をリリース。収録曲『Girl』が2013年USEN年間チャート1位を獲得した。2014年、3DCGアニメ映画「STAND BY ME ドラえもん」主題歌『ひまわりの約束』がロングヒット。2014 年間 USEN HIT J-POPランキング第2位を記録。同曲の弾き語りバージョンを収録した初の弾き語りベストアルバム『evergreen』は日本レコード大賞企画賞を受賞した。
出典:タレントデータバンク