どんな人?
- 増田恵子は1976年、デュオアイドル「ピンク・レディー」の「ケイ」としてデビューし一世を風靡するも、1981年に解散。
- 1981年には中島みゆき作詞作曲「すずめ」でソロデビュー。翌年には女優としても活動を始める。
- 2010年には「ピンク・レディー」の活動を再開した。
芸能活動
ピンク・レディーとして大ブレイク
増田恵子はミイ(現在は未唯)と2人でヤマハ主催のオーディション「チャレンジ・オン・ステージ」に合格、1974年にはピンク・レディーの前身となるフォークデュオ「クッキー」を結成する。
1976年『スター誕生!』(日本テレビ系)の決勝大会でスカウトを受け同年デビュー。1stシングル「ペッパー警部」に続き、「S・O・S」、「カルメン’77」、「渚のシンドバッド」、「ウォンテッド(指名手配)」、「UFO」、「サウスポー」を立て続けにリリースし、大ヒットを記録する。
1981年の解散後は期間限定の再結成を4回行っていたが、2010年に「解散やめ!」を宣言し活動を再開した。[出典1]