どんな人?
- 天本英世は、劇団・俳優座に入座し、オペラ『オテロ』で初舞台を踏んだ俳優。木村恵介監督作『二十四の瞳』では主演・高峰秀子の夫役を務めた。
- 東宝専属俳優となってからは悪役を多く演じ、岡本喜八監督作品の最多出演俳優となった。 1972年に放送された『仮面ライダー』(テレビ朝日系)では死神博士を演じ、子供たちに強烈なインパクトを与えたことで今でも根強い人気を誇っている。
- 2003年、関係者に看取られるなか急性肺炎でこの世を去った。享年77。遺灰はスペインのグアダルキビール川源流に散撒された。
生い立ち
略歴
父親が住友石炭鉱業若松支店長だった関係で、大変裕福な家庭で生まれ育った。
1943年に旧制若松中学校(現福岡県立若松高等学校)卒業すると、1944年に旧制第七高等学校(現鹿児島大学)に進学。
在学中に学徒出陣に徴用されるも、非従属的な性格が災いして上官らから激しい暴行と制裁を受け、戦争の不条理さについてを思案を巡らすように。
敗戦後は復学し、東京大学法学部政治科にて国際政治学を専攻。
当初は外交官を目指していたが、国家に対する反骨志向や政治姿勢への反発から無政府主義者となり中退した。[出典1]
芸能活動
俳優の道へ
大学中退後、文学や演劇の世界にのめりこみ、劇団・俳優座に入座。オペラ『オテロ』で初舞台を踏んだ。
その頃、たまたま俳優座に来ていた映画監督・木下恵介と廊下ですれ違い、顔が哲学的だとの理由で映画『女の園』への出演オファーを受ける。
親交を深めた天本はその後、同監督作『二十四の瞳』に出演し主演・高峰秀子の夫役を務めた。[出典1]
天本は、当時の自身の状況を次のように振り返っている。
そのころはまったくの素人で、目標も何もない。俳優になってはみたものの、何をやりたいというのもない。
乞食だよ。ただそれは性にはあっていた。[出典2]
東宝移籍
東宝に移籍し専属俳優となってからは悪役を多く演じるように。
天本は岡本喜八監督に気に入られ、同監督作品の最多出演俳優となった。
殊に1967年に公開された映画『殺人狂時代』で扮した精神科医・溝呂木博士役は好評を博したという。
同作では天本のプロデュースにより、劇中音楽としてフラメンコを取り入れたり「イスパニア式決闘」シーンを織り込むなどの演出が施されている。[出典1]
テレビでの活躍
映画や舞台以外では、時代劇やドラマ、バラエティー番組などに多数出演。
1972年に放送された『仮面ライダー』(テレビ朝日系)では死神博士を演じ、子供たちに強烈なインパクトを与えたことで今でも根強い人気を誇っている。
また1991年には『たけし・逸見の平成教育委員会』(フジテレビ系)に出演し、注目を集めた。[出典1]
作家として
フラメンコをを通じてスペインへの造詣を深めたことをきっかけに、スペイン全土を放浪。
天本はその経験をもとに『スペイン回想』『スペイン巡礼』などといった著作を表した。[出典1]
私生活
スペイン芸術に傾倒
日本におけるスペインの芸術・文化の第一人者として知られる天本は、生涯をかけてスペインの陶磁器をはじめとする多種多様な工芸品、コレクションを集めた。[出典1]
肺炎による死
知人が催したパーティに出席中、脳梗塞で倒れた天本は故郷の若松区にて療養するも徐々に衰弱。
2003年には関係者に看取られ、急性肺炎でこの世を去った。享年77。
天本の遺書により、遺灰はスペインのグアダルキビール川源流に散撒された。[出典1]
出演
テレビ番組
- うきは 山岸 役
- 世にも奇妙な物語 第2シリーズ