どんな人?
- 寺島しのぶ(てらじましのぶ)は、日本で活動する役者。京都府出身の1972年12月28日生まれ。アプティパ所属。
- 父は歌舞伎役者の七代目・尾上菊五郎、母は女優・富司純子、弟は五代目・尾上菊之助。
- 1992年、青山学院大学文学部在学中に「文学座研究所」に研究生として入所。翌年公演の舞台『恋と仮面とカーニバル』で役者デビューを果たした。
- 1993年には、大河ドラマ『琉球の風』(NHK)で本格的に映像作品デビュー。以降、舞台や映像作品に多く出演している。
- 私生活では、2007年に日本在住のフランス人でアートディレクターとして活躍するローラン・グナシアと結婚した。
▼寺島しのぶ
生い立ち
寺島しのぶは、京都府出身の1972年12月28日生まれ。現在年齢は51歳。アプティパ所属。[出典1]
芸能一家に生まれており、父は歌舞伎役者の尾上菊五郎、母は役者の富司純子、弟は歌舞伎役者の尾上菊之介。[出典2]
歌舞伎に憧れた少女時代
寺島しのぶは歌舞伎の家に生まれたため、幼い頃から歌舞伎に慣れ親しみ、舞台を羨ましく思っていたという。
歌舞伎の舞台を見に行っては、自身が演じている様を想像し、家では歌舞伎ごっこで遊んでいた。
しかし、5歳違いの弟が先に舞台に立ったことをきっかけに、「女は舞台に立てない」ということを知ったそう。
子役であれば女児でも舞台に立てたが、自分から舞台に立ちたいと言い出せない性格だったという。
また父からも舞台出演について何も言われなかったため、機会は一切なかった。[出典3]
学生時代は部活に熱中した
寺島しのぶは、中学高校と部活動に精を出していた。
高校時代にはハンドボール部に所属し、試合では母も応援に駆けつけてくれていたという。
寺島が部活動に熱中したのは、「自分は歌舞伎の舞台に立てない」という挫折感から自身を守るためだった。
また、歌舞伎役者は無理でも、演じる仕事をしたいと思い続けていたが、誰に打ち明けることもなかったという。
そのため、母は「娘は役者にならないのだ」と思い、寺島のために用意していた着物などを他人に譲り渡している。[出典3][出典4][出典5]
芸能活動
大学在学中に役者の道へ
寺島しのぶは1992年の青山学院大学文学部在学中に、「文学座研究所」に研修生として入所。
1993年公演の舞台『恋と仮面とカーニバル』で初舞台を経験した。
デビュー作がきっかけとなり、蜷川幸雄演出の舞台『血の婚礼』にも出演。以降、様々な舞台作品に出演し、女優賞などを多数受賞している。
映像作品には、1989年放送のドラマ『詩城の旅人』(NHK)でデビュー。本作は寺島の母・富司純子がヒロインを務めており、本名の「寺島忍」名義で出演している。
本格的な出演となったのは、1993年放送の大河ドラマ『琉球の風』(NHK)であり、両親と共演した。
以降、様々なテレビドラマに出演している。[出典6]
母と言い合いの末出演した映画
寺島しのぶは、2000年公開の映画『シベリア超特急2』でスクリーンデビュー。
2003年公開の映画『赤目四十八瀧心中未遂』では、ヌードシーンなどにも挑戦している。
本作でヌードシーンがあると知った母は、寺島の出演を猛反対し「出演するなら自殺する」とまで言われたという。しかし寺島も「出演できないなら自殺する」と訴えた。