2017年10月20日更新
どんな人?
- 小池百合子は、1992年に政界に転身して以来、現在まで参議院議員1期、衆議院議員を8期連続当選、2007年7月には女性初の防衛大臣を務めた政治家である。
- 政治家になる前は、アラビア語通訳を務め、経済情報番組『ワールド・ビジネスサテライト』(テレビ東京系)などでキャスターとして活躍していた。
- 2016年6月29日、舛添要一前知事の辞職に伴う東京都知事選に立候補することを表明。「あたためてきたビジョンが多々ある。首都東京で実現したい」と初の女性都知事を目指す意欲を示している。
小池百合子の生い立ち(子供時代)
現在年齢は何歳?血液型・出身は?
小池百合子は兵庫県芦屋市出身の政治家。[出典1]
生年月日は1952年7月15日なため、現在年齢は72歳である。[出典2]
▼現在年齢は72歳
https://twitter.com/ecoyuri/status/921001420861538307
血液型はA型。
幼少期時代にガールスカウトをやっており、以来
「備えよ、常に」[出典3]
という言葉が好きだという。[出典3]
小池百合子の父親と母親
父親はエジプト政府と人脈がある石油の貿易商だったため、小池百合子は社長令嬢として不自由ひとつなく育った。[出典4]
対する母親は、幼い小池のために洋服を作ってくれるようなお母さん。また、
戦時中に厳しい女学生時代を過ごしたけれど、今は違うのだから、どんどんやりたいことをやらなければ嘘よ[出典5]
と母は小池のことを常々励まし、彼女の背中を押していた。[出典5]
高校生の時に留学を決意
そんな母親の影響もあって「自分がやりたいこと」を考え始めた小池百合子は、テレビでアポロ11号の月面着陸の映像を目にする。
その際に、雑音が混じっていながらも正確に英語を日本語に翻訳する”同時通訳”者の仕事ぶりに感銘を受け、ちょうど海外に行きたいと考えていた彼女は、
やっている人が少ない、けれど必要性が増すであろうアラビア語[出典5]
を学ぶことに決めた。[出典5]
当時の小池百合子は高校生。高校は「甲南女子高校」に通っていた。
当時から夢は「外交官」と、政治界を目指していたようだ。[出典1]
「恐ろしい高校生だった」
小池百合子は甲南女子高校生時代を振り返り、[出典1]
日本における女性の居場所、女性の今後伸びる方向、その中で自分はどういう位置にいて、10代で何をして、20代でどういうスキルを得て…[出典6]
と自身を商品に例え、将来の商品開発を考える「自己マーケティング」をしていたと語っている。
小池自身、自分のような高校生は「恐ろしい」と話しているが、同時点で外国語という「スキルを身につけよう」と考えたのも、
日本の組織の中では女性は下働きで終わり、意思決定にはなかなか行けない[出典6]
と悟ったからであった。
アラビア語を学ぶためカイロ大学へ
高校卒業後は「関西学院大学」に入学するも、中退。[出典1]
その後エジプトの「カイロ大学」社会学科に留学し、同大学を主席で卒業している。[出典7]
以降、アラビア語通訳や株式番組キャスターを務め、経済情報番組『ワールド・ビジネスサテライト』(テレビ東京系)では初代キャスターとして活躍した。[出典6]