2018年4月9日更新
どんな人?
- 高校時代からロカビリーの音楽に興味を持ち、1961年〜1962年5月までハリウッドに渡り勉強した。帰国後、バンドを結成しジャズ喫茶に出演していたところをスカウトされ、『パント・ポップショー』(TBS系)や『スパーク・ショー』(フジテレビ系)などに出演する。
- 歌手としての代表作に1969年放送のボクシングアニメ『あしたのジョー』(日本テレビ系)がある。
- 俳優としては、これまでに「第20回 日劇ウエスタンカーニバル プレスリー賞」「第19回 ヨコハマ映画祭 助演男優賞」「第5回 菊田一夫演劇賞」などを受賞した。
▼尾藤イサオ
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— 斜め上からこんにちは (@nanameuekarakon) 2018年3月19日
生い立ち
家族
五人兄弟の末弟。父は落語家の3代目松柳亭鶴枝である。[出典1]
幼少期のエピソード
山で遊んだりザリガニを取ったり外で遊ぶことが多かった。お祭りも好きだったという。[出典1]
小学生時代のエピソード
入学後に先生が出席を取る際に苗字を見て「あの尾藤くんか?」と言われたという。上の兄たちがやんちゃであったことが理由で、学校に行くのが嫌であったとしている。ただ、6年生での転校を前に当時の担任にかけられた温かい言葉は今でも覚えているという。[出典1]
曲芸師時代のエピソード
11歳の時から曲芸師の鏡味小鉄の弟子となり6年間修行し、最後の1年間は渡米した。帰国後に師匠に独立して良いと言われ曲芸をやめる。プレスリーのような歌を歌いたいことが理由で、打ち明けた際は師匠に「不良になるのか」と言われ、「何考えてるんだ」と家族や兄弟子からも怒られた。[出典1]
芸能活動
芸歴
18歳で歌手デビュー。1963年には第20回記念「日劇ウエスタンカーニバル・プレスリー賞」を受賞する。1965年には『悲しき願い』がヒット。翌1966年にはビートルズ日本公演に出演した。ボクシングアニメ『あしたのジョー』の主題歌は有名で、現在は歌手のほか、俳優としても活躍している。[出典1]
また『あしたのジョー』の主題歌については、
台東区出身の私が、泪橋が舞台のアニメの主題歌を歌ったのも何かの縁だと思っています。
とコメントをしている。[出典4]
私生活
都内の別の区に30年以上も住んでいるが、故郷台東区のたいとう観光大使を務める。[出典3]なお、本籍だけは生まれ育った台東区のままである。
その理由を、
つながりをずっと残しておきたいと思っているから
としている。[出典4]
家族
娘は歌手で女優の尾藤桃子。親子で共演したこともある。[出典2]
SNSやブログでの様子
Yahoo!でブログを開設、月に数度投稿している。[出典5]